2015年 菜の花マラソン
1年前から本格的に走り出し、5ヶ月前にサブ3(フルマラソンを3時間以内で走る事)を目指して必死で練習してきました。
そんな今年の菜の花マラソンの話です。
これから自分の気持ちを素直に書いていくので敬語を使いません。
そして、結構詳細を書くのでかなり長いので時間がある時にでも読んで下さい。
過去2回は電車で行ったが、さっさと走ってさっさと帰ろうと思ったので車で行く事に。
朝方(2〜5時)に行くと混むという事で前日から行くことに。
18時、会場に着きどこの駐車場も停めれそうだったのでとりあえず温泉へ。
温泉の中で人の体を見て、
『大体これくらいの時間で走る体かな?まだまだだね。俺の体を見てみろ!』
と言わんばかりに腹筋に力を入れてお湯から出る事を繰り返した。
19時過ぎ、適当な駐車場に駐車。
車の後部座席を倒して何とか布団がひけたのでそこで寝ることにした。
窓の部分にシートをして、外から見えないようにした。
なんだか小学生か中学生の頃の秘密基地を思い出しワクワク感が半端ない。
今日の昼は炭水化物を食べようと思い白飯と脂ののったアジの開きを食べた。
そして、夜はアジのミリン焼きとオニギリ3個を食べた。
普段家ですると妻に怒られるから堂々と出来ないスマホのゲームを思う存分やろうとするも、電波が悪くて出来ず。
仕方なく自分に浸る事にし、歌手のAIさんの曲を聴いた。
なんか凄く良い雰囲気になり、ロウソクでも持ってきてればもっと良かったなと思った。
そして、就寝することに。
しかし、車の中の少しの段差が気になり中々寝れず。
ただでさえ睡眠の浅い僕がそんな段差があるところで寝れるはずがないと気付いた、22時。
体を捻って寝たりして、浅い睡眠を繰り返していると人と車の気配が多くなってきた、3時。
起きるにはまだ早いと思い、浅い睡眠を6時まで。
ついに始動時間、6時15分。
オニギリを3個食べようとするも、緊張からか1個と半分で食べれなくなった。
その後着替えて、ついに主戦場へ。
7時過ぎ、会場の体育館は混み合っており、手荷物を置く椅子を探すのも困難だったが何とか1つ確保。
ゼッケンを付けたり、色々して時間をみるもまだ7時30分。
スマホを見ると通信状態良好→ゲーム開始。
ふと時計を見ると8時過ぎ。
少し焦って着ていた服を脱いでスタート地点へ。
3時間30分以内の人のスタート地点へ行き、スタートが今か今かと待った。
今回招待選手の埼玉県庁職員川内さんが登場し、会場前方だけ盛り上がる。
今の僕にはそんな余裕はない。
自分の事で頭が精一杯だ。
そしてついにスタートの時がやってきた。
花火がバンバン鳴ってたと思うが、それが耳に入ってくる事がない程自分に集中していた。
菜の花マラソンは最初から最後までアップダウンがある結構きつい大会だ。
そのアップダウンの一番酷い箇所が最初にある。
そこを順調にクリア。
10km過ぎてタイムを見ても、想定内。
調子良く走ると後半がきつくなるから、前に行きたい自分を抑えて走った。
中間地点でのタイムは1時間33分だった。
かなり順調だった。
後半から少しペースを上げていく予定だったので、自分を抑えれて良いペースだ。
しかし、後半が始まってすぐ、ペースが落ちてきた。
脚が少しずつ重くなってきていたが、それは練習でもあったことだった。
その状態になってもペースを維持し、32kmを過ぎてからが勝負だと思っていた。
しかし、脚が重い。
そこで焦ってペースを上げるより、ペースが落ちてもいいから自分を取り戻そうと考えを変えた。
ペースが落ちたまま30km地点を通過。
『よし、ここからだ。』
自分にそう言い聞かせた。
これまでたった5ヶ月だがそれなりにきつい練習を繰り返してきた。
それを思い返し自分を奮い立たせた。
2〜3kmペースを上げた。
しかし、上がらない。
むしろ遅くなってきた。
何とか自分を落ち着かせようとするも、気持ちがおかしくなってきた。
自分の情けなさに涙が出てきた。
サングラスをしていたので人には見られなかったが確かに僕は泣いてしまった。
若干嗚咽まで出るくらい泣いていた。
走りながら嗚咽するくらい泣いたのなんて初めてだった。
今思えばその時点でパニック状態だったんだろう。
時計を見る事をやめ、トボトボと走り続けた。
一体この走りはペースがどれくらいなのだろうか
何のためにあんなきつい練習を繰り返してきたのだろうか
坂道でのペースを間違えたのだろうか
走りに対して謙虚になれなかったのだろうか
何が悪かったのだろうか・・・
色々考えた。
そんなことは走り終わってから考えればいいのに、マイナスのことばかりを考えてしまった。
そんなときある言葉が37km地点で頭をよぎった。
『なんで走ってるんだ?もう走るのやめようかな。もう嫌だ。』
一番思ってはいけないことを思ってしまった。
どんなきつい上り下り坂でもずっと止まらずに走り続けてきた37kmを裏切るかのように歩いてしまった。
その時点で僕は自分に負けた。
完全に負けた。
また泣いてしまった。
しかし、最後らへんは人がいるため堪えなければならない。
唇を噛み締めてトボトボと走りだした。
泣くよりも、叫びたかった。
情けない自分を罵った。
最期の4kmがかなり長く感じた。
普段毎日15km走ってるのに、たった4kmが死ぬ程長かった。
もうリタイヤしたかった。
普通の人には38km走ってきて、残り4kmでリタイアしたいって思いはわからないと思う。
沿道の応援もほとんど耳に入ってこず、フラフラになりながら残り2km。
白水館が見えて、残り1km。
残り1kmでもリタイアしたかった。
多くのランナーに追い越され精神的にズタボロだった。
何とか走って競技場が見えてきた。
競技場前の直線が物凄く長く感じた。
競技場の横に着くと家族の応援も聞こえた。
手を上げるので精一杯だった。
競技場入り口手前で足を伸ばしてるランナーがいた。
ゴールは目の前なのにそんなことをするのがマラソンなのだ。
気持ちが痛い程わかった。
その時点でもリタイアしたかった。
ゴールへ向かう気持ちは一切なかった。
そんな気持ちのままゴールした。
とにかく、横になりたかった。
1人になりたかった。
タオルと完走証をもらい、家族と合流し、芝生の上で倒れ込むように横になった。
完走証を見ようとも思わなかった。
ただただ悔しかった。
早く帰らないと混むと思い、すぐに起きた。
着替えをとりに1人で体育館の2階へ。
まだ体育館の中は閑散としていた。
そこそこタイムが早かったからだろうと思った。
椅子に座り、少し落ち着いたら気持ちが緩んだ。
号泣してしまった。
横に人が1人いたけど、かまわず泣いてしまった。
足が痙攣していた。
本気で悔しかった。
自分の不甲斐なさに腹が立ち、虚無感に襲われた。
一時何も考えず座った。
寒気が来て着替える事を思い出した。
着替え出すと、いつの間に気持ちが変わっていた。
『何が悪かったのだろうか?』
もう前を向きだしていた。
体力も筋力もなんだか回復してきた。
ということは、まだ全力を出し切れてなかったのだと思った。
思い返せば、走り出して最初の給水ポイントで給水して、ゲップをした際胃液が出てきた。
それが最期まで続いていた。
途中で2回程吐いていた。
その原因の大きな要因は、前日の食事を間違えたことだろう。
前日に脂っこく塩分を多分に含む魚を食べてしまったことが原因だろうと思う。
また、風邪気味っぽい感じが正月過ぎから続いていたのも1つの原因だろう。
あとは、気負い過ぎた事も原因の1つだろう。
睡眠不足もこれ1つだけであれば問題はないが、色々重なって原因の1つになってしまったのだろう。
5ヶ月の練習がたった1日で駄目になったのだ。
それがわかって落ち込む事はなかった。
むしろ、尚更前向きになった。
要は経験不足だったのだ。
いくら練習を繰り返しても、それは所詮練習でしかないのだ。
練習不足もある。
それはわかっていたからサブ3は無理だと思い、3時間10分以内を目指したのだ。
そのタイムであればいけると思った。
だが、無理だった。
走ってるときは色々考えたが、これからも走る事はやめない。
もっともっと練習をして、次なる大会に備えよう。
謙虚になり、先を見過ぎるのではなく、今の自分をよく見つめることだ。
おい、俺!頑張れよ!!!!!まだまだいけるぞ!!!!!!
また新しいスタートラインがでてきた。
マラソンって、走るって、最高!!!!!!!!
え???タイムが気になるって????
そりゃー、整骨院に見に来ないと教えませんよ〜☆
患者さんでお1人だけ正確な時間がわかっている方がいらっしゃいます。
その方は競技場にお勤め先の方々の応援にきたとのことで、ついでに僕の応援もしていただきました。
他にも、患者さんで応援にきていただいたけど、僕を見つける事が出来ずの方もいらっしゃいました。
ありがとうございました!!!
その内日本中の応援を受けるように頑張ります!
ここまで長文のブログを読んで頂いた方に申し訳ありませんので、順位だけ書きます。
30歳代男子:3421人中・・・・・87位
総合順位:19371人中・・・・・281位
来年はまだまだ頑張ります!
長文にお付き合いありがとうございました!
タイムは整骨院に貼っておきますのでご確認下さい!
写真はFacebookでアップしますので、そちらをご覧下さい。
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