2012年11月28日
ポパイからの遺言
僕が中学3年生の反抗期まっただ中、小さい柴犬が我が家に来た。
その当時、僕は親とまともに話もしない日々が続いていた。
誰もが通る思春期に心の癒しを求めていたのか、僕は犬を飼いたくなった。
すると、父が一匹の柴犬を連れてきた。
とても可愛くて、僕はその犬に夢中になった。
名前が中々決まらず、困っていた。
今でもその映像が頭に浮かぶのだが、テレビを見ていたら、外国人が出てきて犬の名前を
『ポパイ』
と呼んでいた。
僕は
『これだ!』
と思った。
それから、その柴犬は日本犬なのに、「ポパイ」と名付けられた。
ポパイを飼い始めてから、段々僕の反抗期も落ち着いてきた。
犬を飼う事で、心が安らいできたんだと思う。
そんな最初の頃のポパイ。

家族の一員になってからもずっと大好きな父の横で寝るポパイ。

高校受験を控えていた僕は、当然受かると思っていた私立の高校をなぜか落ちた。
どうやら鹿児島の高校は、中学校の先生に従順でない生徒を私立高校への合格をさせないらしい。
成績は普通より上の方だった僕が落ちるはずのない高校に落ちた事で、気持ちがどん底に落ちた。
すると、母がどこからかみつけてきた熊本の高校を受験する事になった。
これがまた、運命の転換期でもあった。
僕はその高校に受かり、いつの間にか高校生活を熊本で迎える事となった。
高校生活も色々あったが、それはまた今度の機会にする。
高校の長期休みの時に実家に帰る度に、ポパイは尻尾を思いっきり振って僕を迎えてくれた。
顔中をなめては、物凄くはしゃいでいた。
そんなポパイが可愛くて仕方がなかった。
こんなに毛があるのに、ストーブの前で暖まるのがとても好きなポパイ。

さつま揚げを僕が中々放さないため、手を出してくるポパイ。

それからなんだかんだで、僕は名古屋に行く事になった。
ポパイとはちゃんと生活という生活をしたのは、2年くらいだと思う。
名古屋に行ってからも、帰省の度にポパイは喜んでくれた。
当然僕も、ポパイと会うのが楽しみで仕方がなかった。
そんなポパイは自分を人間だと思っていたらしく、家族が食事をしているとドアの向こうから
『僕を入れてくれよ〜。』
と、アピールしたりしていた。
しかし、そこは父のしつけが良かったのか、部屋に入るには家族の許可が必要だった。
そんな、ドアの狭間で待ちくたびれているポパイ。

ポパイのオフショット。

ポパイはとにかく父が好きだった。
父が行くところ行くところ付いてまわっていた。
父がソファーで寝ていたらソファーの下で寝て、父が床に寝ていたら父の真横で寝て、父が椅子に座っていた椅子の真下で寝て、とにかくポパイは父が大好きだった。
そんな父の横で完全に安心しきったポパイ。

皮の骨っこが大好きで、これを僕が投げてポパイが取りにいって僕に渡すというのを延々と繰り返した。
その皮の骨っこを僕がいたずらで、高い机の上に置き取れないようにして困っているポパイ。

僕のサングラスをかけて、不思議そうな顔をしていたポパイ。

そんな愛くるしいポパイが弱ってきた。
僕が名古屋から帰ってきても迎えにこなくなってきた。
正確に言うと、来れなくなってきた。
ポパイの近くにいっても、あまり喜んだりしなくなった。
僕は嫌われたのだと思った。
僕はいつもポパイをいじめていた。
ポパイをいじめて、いじけて、父に助けを求めるポパイ。

可愛さ余ってというところでしょう。
ポパイは僕の事を完全に兄弟だと思っていた。
当然僕もポパイを兄弟と思っていた。
どっちが上とかじゃなく、双子のようなものだった。
そんないじめにあっても、ポパイは久しぶりに会う僕に尻尾は振ってくれた。
そんなポパイがいつの間にか老犬になっていた。
それを一番感じたのは、散歩の時に走れなくなっていたことだ。
昔は一緒にかけっこをしても僕より早く走っていたポパイが、なんといつの間にか走れなくなっていた。
僕はショックだった。
無理矢理引っ張って走ったりしたが、走れなかった。
そこまで弱っているとは僕には想像もできなかった。
たまに会うポパイはいつまでもあの若々しいポパイだと思っていた。
そして、開業するため名古屋から鹿児島に帰ってくる事になった。
最初の1ヶ月、実家に住んだ。
その頃、僕は妻と一緒に飼ったダックスを2匹飼っていた。
まだ3歳くらいの若さに溢れるピチピチの犬だ。
今も僕の膝で寝ている2匹のダックス。

ポパイは自分を人間と思っているから他の犬を極度に嫌うため、この2匹を寄せ付けなかった。
ポパイはこの頃走ったりすることはできないけど、まだ比較的元気であった。
そんな実家暮らしも1ヶ月すぎてマンション暮らしが始まった。
それからポパイと会う機会はめっきり減った。
そしてポパイは、会う度に衰えていた。
父が整骨院に来たときに、ポパイの状況を聞いていく度に弱っていってるのがわかった。
僕はそんな弱ったポパイに会いたくなかった。
やはり僕の中でポパイはあの元気だったポパイなのだ。
今年に入り、たまに実家に帰ると昔の見る影もなかった。
簡単に越えていた段差も、越えることができなくなっていた。
足を引きずって、まともに歩くことができなくなっていた。
また、目が見えなくなってきていたようだった。
父の事務所の中を歩き回って、壁にぶつかったりしていた。
ひどい時は壁にぶつかって、口を切り、床中に血が落ちていることもあった。
その大量に血が落ちていた頃から、これ以上自由にしていると危険ということで、家の中でもリードをつけるようにした。
人間でも同じですが、動かなくなると生き物はすぐに弱っていく。
そこからのポパイの弱り具合は目を覆う程だった。
プクプクと、ふくよかだった身体も、やせ細った身体にはあばら骨が浮かび、食も細くなりますます歩けなくなっていった。
昔は身体を触られるのが嫌で、僕が触るとすぐに怒っていたのが怒る元気もなくなっていた。
排便・排尿も散歩のときにちゃんと出来ていたのが、それさえもできなくなり家の中でしてしまうようになった。
ポパイとしては、散歩でしたかったと思うのだが足が動かなくなり、不本意ながらできないのだ。
そんなポパイを診ていた父が一番悲しかったと思う。
僕なんてたまにしか会ったりしなかったが、父はポパイが弱っていく姿をずっと見ていたのだ。
生まれたての頃から毎日散歩に連れて行ったり、ポパイの遊び道具を買ってきたり、一緒に寝たりしてきた。
本当の息子のように大事にポパイと共に生きてきた。
ポパイもそんな優しい父を本当の父親と思っていたに違いない。
ポパイが夜中に寂しそうに鳴いたりすれば
起きて一緒に散歩に行き
ポパイと散歩に出かけ疲れて動けないときは
抱き上げて家まで帰り
ポパイが動けなくなり水も飲めないときは
口に水を流してあげ
ポパイと別れたくない夜は
寝袋を持ってきて隣に寝て
寝たきりが続き首しか動かせなくなった時はそれに悲しみ
寒い夜は何度も起き
みんなに無駄と言われ
褒められもせず
苦にもされず
父は懸命に看病を繰り返した。
そして、昨日ポパイは死んだ。
僕はそれを物心がついた頃からの知り合いのおじちゃんに聞いた。
昨日の昼に父に会ったときは、まだポパイは生きているとの事だった。
おじちゃんから聞いたのが夕方だった。
僕はとても信じられなかった。
その時は人前であったし、診療時間中だったためポパイの事を考えることはしなかった。
その日は診察も早く終わり、僕はすぐに家に帰った。
最近毎日走って帰ってるのだが、僕は走りながら泣いた。
ポパイとの色んな思い出を振り返っていると、自然と涙がでた。
走っている事自体はきつくないが、僕は足を止めて嗚咽した。
何とも言えない虚無感に襲われ、泣く事しかできなかった。
そして、なんとか家に帰り着き荷物を置いてすぐに実家に帰った。
実家に着き、車から降りようとするが現実を受け入れることができずにいる僕は、中々降りれなかった。
その時には涙は止まり、多分ポパイに会っても泣かないだろうと思った。
車を降り重い足取りの中、玄関の鍵を開け、ポパイの部屋に入るとそこには毛布に包まれたポパイの姿があった。
その瞬間、僕は涙がいっきに出てきた。
すぐにポパイのそばに駆け寄り、生きてるのではないかと色々確認した。
ポパイの手を握ったら嫌がって、握っている僕の手を咬もうとしたり
ポパイの耳を触ると嫌がって、やめろと言ったり
ポパイの鼻をつまむと、嫌な顔をしたり
ポパイのお腹を触り、身体が温かいか確認をしたり
あらゆることを確認したが、ポパイは確かに死んでいた。
ポパイの前には父があげたであろう、昔バクバク食べていた餌が置いてあった。
その横に家から持ってきたお菓子や皮の骨を置き、とにかくポパイの死を悲しんだ。
何度も何度もポパイの耳元に話しかけたが、ポパイが動く事はなかった。
またそこで僕は、嗚咽を繰り返した。
おいポパイ、お前は坂上家にきて幸せだったか?
おいポパイ、お前の人生は楽しかったか?
おいポパイ、思い残す事はないか?
おいポパイ、僕はお前にもっとやれることはなかったか?
おいポパイ、お前は僕を兄と思っていたのか?弟と思っていたのか?
おいポパイ、天国はどうだ?
今日ポパイは鹿児島大学の獣医学部の検体にいった。
その後、火葬された。
今の時間が22時30分だが、このブログを観た人は空を見てほしい。
綺麗な綺麗な満月が夜空に輝いているでしょ?
あなたには普通の満月に見えるかもしれないが、僕にはポパイが笑っているように見える。
以前書いたブログの恩師の死の時も満月だった記憶がある。
満月の夜に思い出す顔が2つに増えた。
できるなら、これ以上増えてほしくない。
こんな悲しみ味わうくらいなら、生き物との関わりをしたくない。
しかし、そう言う訳にはいかないんだ。
僕はポパイの死も受け入れ、前に進まなければならない。
今日、診察が終わり走って帰っている時も泣いた。
これがいつまで続くのかわからない。
しかし、僕は泣いてばかりもいられないはずだ。
答えは自分の中にある、あとは自分でどうにかするしかないんだ。
また僕の背中に1人の命が加わった。
おいポパイ、また天国で会おうな
おいポパイ、またいじめてやるからな
おいポパイ、また一緒に走ろうな
おいポパイ、父ちゃんのそばにいてくれな
おいポパイ、僕と出会ってくれてありがとう。

その当時、僕は親とまともに話もしない日々が続いていた。
誰もが通る思春期に心の癒しを求めていたのか、僕は犬を飼いたくなった。
すると、父が一匹の柴犬を連れてきた。
とても可愛くて、僕はその犬に夢中になった。
名前が中々決まらず、困っていた。
今でもその映像が頭に浮かぶのだが、テレビを見ていたら、外国人が出てきて犬の名前を
『ポパイ』
と呼んでいた。
僕は
『これだ!』
と思った。
それから、その柴犬は日本犬なのに、「ポパイ」と名付けられた。
ポパイを飼い始めてから、段々僕の反抗期も落ち着いてきた。
犬を飼う事で、心が安らいできたんだと思う。
そんな最初の頃のポパイ。
家族の一員になってからもずっと大好きな父の横で寝るポパイ。

高校受験を控えていた僕は、当然受かると思っていた私立の高校をなぜか落ちた。
どうやら鹿児島の高校は、中学校の先生に従順でない生徒を私立高校への合格をさせないらしい。
成績は普通より上の方だった僕が落ちるはずのない高校に落ちた事で、気持ちがどん底に落ちた。
すると、母がどこからかみつけてきた熊本の高校を受験する事になった。
これがまた、運命の転換期でもあった。
僕はその高校に受かり、いつの間にか高校生活を熊本で迎える事となった。
高校生活も色々あったが、それはまた今度の機会にする。
高校の長期休みの時に実家に帰る度に、ポパイは尻尾を思いっきり振って僕を迎えてくれた。
顔中をなめては、物凄くはしゃいでいた。
そんなポパイが可愛くて仕方がなかった。
こんなに毛があるのに、ストーブの前で暖まるのがとても好きなポパイ。

さつま揚げを僕が中々放さないため、手を出してくるポパイ。
それからなんだかんだで、僕は名古屋に行く事になった。
ポパイとはちゃんと生活という生活をしたのは、2年くらいだと思う。
名古屋に行ってからも、帰省の度にポパイは喜んでくれた。
当然僕も、ポパイと会うのが楽しみで仕方がなかった。
そんなポパイは自分を人間だと思っていたらしく、家族が食事をしているとドアの向こうから
『僕を入れてくれよ〜。』
と、アピールしたりしていた。
しかし、そこは父のしつけが良かったのか、部屋に入るには家族の許可が必要だった。
そんな、ドアの狭間で待ちくたびれているポパイ。
ポパイのオフショット。
ポパイはとにかく父が好きだった。
父が行くところ行くところ付いてまわっていた。
父がソファーで寝ていたらソファーの下で寝て、父が床に寝ていたら父の真横で寝て、父が椅子に座っていた椅子の真下で寝て、とにかくポパイは父が大好きだった。
そんな父の横で完全に安心しきったポパイ。

皮の骨っこが大好きで、これを僕が投げてポパイが取りにいって僕に渡すというのを延々と繰り返した。
その皮の骨っこを僕がいたずらで、高い机の上に置き取れないようにして困っているポパイ。
僕のサングラスをかけて、不思議そうな顔をしていたポパイ。
そんな愛くるしいポパイが弱ってきた。
僕が名古屋から帰ってきても迎えにこなくなってきた。
正確に言うと、来れなくなってきた。
ポパイの近くにいっても、あまり喜んだりしなくなった。
僕は嫌われたのだと思った。
僕はいつもポパイをいじめていた。
ポパイをいじめて、いじけて、父に助けを求めるポパイ。
可愛さ余ってというところでしょう。
ポパイは僕の事を完全に兄弟だと思っていた。
当然僕もポパイを兄弟と思っていた。
どっちが上とかじゃなく、双子のようなものだった。
そんないじめにあっても、ポパイは久しぶりに会う僕に尻尾は振ってくれた。
そんなポパイがいつの間にか老犬になっていた。
それを一番感じたのは、散歩の時に走れなくなっていたことだ。
昔は一緒にかけっこをしても僕より早く走っていたポパイが、なんといつの間にか走れなくなっていた。
僕はショックだった。
無理矢理引っ張って走ったりしたが、走れなかった。
そこまで弱っているとは僕には想像もできなかった。
たまに会うポパイはいつまでもあの若々しいポパイだと思っていた。
そして、開業するため名古屋から鹿児島に帰ってくる事になった。
最初の1ヶ月、実家に住んだ。
その頃、僕は妻と一緒に飼ったダックスを2匹飼っていた。
まだ3歳くらいの若さに溢れるピチピチの犬だ。
今も僕の膝で寝ている2匹のダックス。
ポパイは自分を人間と思っているから他の犬を極度に嫌うため、この2匹を寄せ付けなかった。
ポパイはこの頃走ったりすることはできないけど、まだ比較的元気であった。
そんな実家暮らしも1ヶ月すぎてマンション暮らしが始まった。
それからポパイと会う機会はめっきり減った。
そしてポパイは、会う度に衰えていた。
父が整骨院に来たときに、ポパイの状況を聞いていく度に弱っていってるのがわかった。
僕はそんな弱ったポパイに会いたくなかった。
やはり僕の中でポパイはあの元気だったポパイなのだ。
今年に入り、たまに実家に帰ると昔の見る影もなかった。
簡単に越えていた段差も、越えることができなくなっていた。
足を引きずって、まともに歩くことができなくなっていた。
また、目が見えなくなってきていたようだった。
父の事務所の中を歩き回って、壁にぶつかったりしていた。
ひどい時は壁にぶつかって、口を切り、床中に血が落ちていることもあった。
その大量に血が落ちていた頃から、これ以上自由にしていると危険ということで、家の中でもリードをつけるようにした。
人間でも同じですが、動かなくなると生き物はすぐに弱っていく。
そこからのポパイの弱り具合は目を覆う程だった。
プクプクと、ふくよかだった身体も、やせ細った身体にはあばら骨が浮かび、食も細くなりますます歩けなくなっていった。
昔は身体を触られるのが嫌で、僕が触るとすぐに怒っていたのが怒る元気もなくなっていた。
排便・排尿も散歩のときにちゃんと出来ていたのが、それさえもできなくなり家の中でしてしまうようになった。
ポパイとしては、散歩でしたかったと思うのだが足が動かなくなり、不本意ながらできないのだ。
そんなポパイを診ていた父が一番悲しかったと思う。
僕なんてたまにしか会ったりしなかったが、父はポパイが弱っていく姿をずっと見ていたのだ。
生まれたての頃から毎日散歩に連れて行ったり、ポパイの遊び道具を買ってきたり、一緒に寝たりしてきた。
本当の息子のように大事にポパイと共に生きてきた。
ポパイもそんな優しい父を本当の父親と思っていたに違いない。
ポパイが夜中に寂しそうに鳴いたりすれば
起きて一緒に散歩に行き
ポパイと散歩に出かけ疲れて動けないときは
抱き上げて家まで帰り
ポパイが動けなくなり水も飲めないときは
口に水を流してあげ
ポパイと別れたくない夜は
寝袋を持ってきて隣に寝て
寝たきりが続き首しか動かせなくなった時はそれに悲しみ
寒い夜は何度も起き
みんなに無駄と言われ
褒められもせず
苦にもされず
父は懸命に看病を繰り返した。
そして、昨日ポパイは死んだ。
僕はそれを物心がついた頃からの知り合いのおじちゃんに聞いた。
昨日の昼に父に会ったときは、まだポパイは生きているとの事だった。
おじちゃんから聞いたのが夕方だった。
僕はとても信じられなかった。
その時は人前であったし、診療時間中だったためポパイの事を考えることはしなかった。
その日は診察も早く終わり、僕はすぐに家に帰った。
最近毎日走って帰ってるのだが、僕は走りながら泣いた。
ポパイとの色んな思い出を振り返っていると、自然と涙がでた。
走っている事自体はきつくないが、僕は足を止めて嗚咽した。
何とも言えない虚無感に襲われ、泣く事しかできなかった。
そして、なんとか家に帰り着き荷物を置いてすぐに実家に帰った。
実家に着き、車から降りようとするが現実を受け入れることができずにいる僕は、中々降りれなかった。
その時には涙は止まり、多分ポパイに会っても泣かないだろうと思った。
車を降り重い足取りの中、玄関の鍵を開け、ポパイの部屋に入るとそこには毛布に包まれたポパイの姿があった。
その瞬間、僕は涙がいっきに出てきた。
すぐにポパイのそばに駆け寄り、生きてるのではないかと色々確認した。
ポパイの手を握ったら嫌がって、握っている僕の手を咬もうとしたり
ポパイの耳を触ると嫌がって、やめろと言ったり
ポパイの鼻をつまむと、嫌な顔をしたり
ポパイのお腹を触り、身体が温かいか確認をしたり
あらゆることを確認したが、ポパイは確かに死んでいた。
ポパイの前には父があげたであろう、昔バクバク食べていた餌が置いてあった。
その横に家から持ってきたお菓子や皮の骨を置き、とにかくポパイの死を悲しんだ。
何度も何度もポパイの耳元に話しかけたが、ポパイが動く事はなかった。
またそこで僕は、嗚咽を繰り返した。
おいポパイ、お前は坂上家にきて幸せだったか?
おいポパイ、お前の人生は楽しかったか?
おいポパイ、思い残す事はないか?
おいポパイ、僕はお前にもっとやれることはなかったか?
おいポパイ、お前は僕を兄と思っていたのか?弟と思っていたのか?
おいポパイ、天国はどうだ?
今日ポパイは鹿児島大学の獣医学部の検体にいった。
その後、火葬された。
今の時間が22時30分だが、このブログを観た人は空を見てほしい。
綺麗な綺麗な満月が夜空に輝いているでしょ?
あなたには普通の満月に見えるかもしれないが、僕にはポパイが笑っているように見える。
以前書いたブログの恩師の死の時も満月だった記憶がある。
満月の夜に思い出す顔が2つに増えた。
できるなら、これ以上増えてほしくない。
こんな悲しみ味わうくらいなら、生き物との関わりをしたくない。
しかし、そう言う訳にはいかないんだ。
僕はポパイの死も受け入れ、前に進まなければならない。
今日、診察が終わり走って帰っている時も泣いた。
これがいつまで続くのかわからない。
しかし、僕は泣いてばかりもいられないはずだ。
答えは自分の中にある、あとは自分でどうにかするしかないんだ。
また僕の背中に1人の命が加わった。
おいポパイ、また天国で会おうな
おいポパイ、またいじめてやるからな
おいポパイ、また一緒に走ろうな
おいポパイ、父ちゃんのそばにいてくれな
おいポパイ、僕と出会ってくれてありがとう。
Posted by ぼくの手 at 22:44
│その他
この記事へのコメント
涙が出ました。
Posted by ひだかっち at 2012年11月29日 23:32
ありがとうございますm(._.)m
Posted by ぼくの手 at 2012年11月30日 06:53