2012年11月28日
ポパイからの遺言
僕が中学3年生の反抗期まっただ中、小さい柴犬が我が家に来た。
その当時、僕は親とまともに話もしない日々が続いていた。
誰もが通る思春期に心の癒しを求めていたのか、僕は犬を飼いたくなった。
すると、父が一匹の柴犬を連れてきた。
とても可愛くて、僕はその犬に夢中になった。
名前が中々決まらず、困っていた。
今でもその映像が頭に浮かぶのだが、テレビを見ていたら、外国人が出てきて犬の名前を
『ポパイ』
と呼んでいた。
僕は
『これだ!』
と思った。
それから、その柴犬は日本犬なのに、「ポパイ」と名付けられた。
ポパイを飼い始めてから、段々僕の反抗期も落ち着いてきた。
犬を飼う事で、心が安らいできたんだと思う。
そんな最初の頃のポパイ。

家族の一員になってからもずっと大好きな父の横で寝るポパイ。

高校受験を控えていた僕は、当然受かると思っていた私立の高校をなぜか落ちた。
どうやら鹿児島の高校は、中学校の先生に従順でない生徒を私立高校への合格をさせないらしい。
成績は普通より上の方だった僕が落ちるはずのない高校に落ちた事で、気持ちがどん底に落ちた。
すると、母がどこからかみつけてきた熊本の高校を受験する事になった。
これがまた、運命の転換期でもあった。
僕はその高校に受かり、いつの間にか高校生活を熊本で迎える事となった。
高校生活も色々あったが、それはまた今度の機会にする。
高校の長期休みの時に実家に帰る度に、ポパイは尻尾を思いっきり振って僕を迎えてくれた。
顔中をなめては、物凄くはしゃいでいた。
そんなポパイが可愛くて仕方がなかった。
こんなに毛があるのに、ストーブの前で暖まるのがとても好きなポパイ。

さつま揚げを僕が中々放さないため、手を出してくるポパイ。

それからなんだかんだで、僕は名古屋に行く事になった。
ポパイとはちゃんと生活という生活をしたのは、2年くらいだと思う。
名古屋に行ってからも、帰省の度にポパイは喜んでくれた。
当然僕も、ポパイと会うのが楽しみで仕方がなかった。
そんなポパイは自分を人間だと思っていたらしく、家族が食事をしているとドアの向こうから
『僕を入れてくれよ〜。』
と、アピールしたりしていた。
しかし、そこは父のしつけが良かったのか、部屋に入るには家族の許可が必要だった。
そんな、ドアの狭間で待ちくたびれているポパイ。

ポパイのオフショット。

ポパイはとにかく父が好きだった。
父が行くところ行くところ付いてまわっていた。
父がソファーで寝ていたらソファーの下で寝て、父が床に寝ていたら父の真横で寝て、父が椅子に座っていた椅子の真下で寝て、とにかくポパイは父が大好きだった。
そんな父の横で完全に安心しきったポパイ。

皮の骨っこが大好きで、これを僕が投げてポパイが取りにいって僕に渡すというのを延々と繰り返した。
その皮の骨っこを僕がいたずらで、高い机の上に置き取れないようにして困っているポパイ。

僕のサングラスをかけて、不思議そうな顔をしていたポパイ。

そんな愛くるしいポパイが弱ってきた。
僕が名古屋から帰ってきても迎えにこなくなってきた。
正確に言うと、来れなくなってきた。
ポパイの近くにいっても、あまり喜んだりしなくなった。
僕は嫌われたのだと思った。
僕はいつもポパイをいじめていた。
ポパイをいじめて、いじけて、父に助けを求めるポパイ。

可愛さ余ってというところでしょう。
ポパイは僕の事を完全に兄弟だと思っていた。
当然僕もポパイを兄弟と思っていた。
どっちが上とかじゃなく、双子のようなものだった。
そんないじめにあっても、ポパイは久しぶりに会う僕に尻尾は振ってくれた。
そんなポパイがいつの間にか老犬になっていた。
それを一番感じたのは、散歩の時に走れなくなっていたことだ。
昔は一緒にかけっこをしても僕より早く走っていたポパイが、なんといつの間にか走れなくなっていた。
僕はショックだった。
無理矢理引っ張って走ったりしたが、走れなかった。
そこまで弱っているとは僕には想像もできなかった。
たまに会うポパイはいつまでもあの若々しいポパイだと思っていた。
そして、開業するため名古屋から鹿児島に帰ってくる事になった。
最初の1ヶ月、実家に住んだ。
その頃、僕は妻と一緒に飼ったダックスを2匹飼っていた。
まだ3歳くらいの若さに溢れるピチピチの犬だ。
今も僕の膝で寝ている2匹のダックス。

ポパイは自分を人間と思っているから他の犬を極度に嫌うため、この2匹を寄せ付けなかった。
ポパイはこの頃走ったりすることはできないけど、まだ比較的元気であった。
そんな実家暮らしも1ヶ月すぎてマンション暮らしが始まった。
それからポパイと会う機会はめっきり減った。
そしてポパイは、会う度に衰えていた。
父が整骨院に来たときに、ポパイの状況を聞いていく度に弱っていってるのがわかった。
僕はそんな弱ったポパイに会いたくなかった。
やはり僕の中でポパイはあの元気だったポパイなのだ。
今年に入り、たまに実家に帰ると昔の見る影もなかった。
簡単に越えていた段差も、越えることができなくなっていた。
足を引きずって、まともに歩くことができなくなっていた。
また、目が見えなくなってきていたようだった。
父の事務所の中を歩き回って、壁にぶつかったりしていた。
ひどい時は壁にぶつかって、口を切り、床中に血が落ちていることもあった。
その大量に血が落ちていた頃から、これ以上自由にしていると危険ということで、家の中でもリードをつけるようにした。
人間でも同じですが、動かなくなると生き物はすぐに弱っていく。
そこからのポパイの弱り具合は目を覆う程だった。
プクプクと、ふくよかだった身体も、やせ細った身体にはあばら骨が浮かび、食も細くなりますます歩けなくなっていった。
昔は身体を触られるのが嫌で、僕が触るとすぐに怒っていたのが怒る元気もなくなっていた。
排便・排尿も散歩のときにちゃんと出来ていたのが、それさえもできなくなり家の中でしてしまうようになった。
ポパイとしては、散歩でしたかったと思うのだが足が動かなくなり、不本意ながらできないのだ。
そんなポパイを診ていた父が一番悲しかったと思う。
僕なんてたまにしか会ったりしなかったが、父はポパイが弱っていく姿をずっと見ていたのだ。
生まれたての頃から毎日散歩に連れて行ったり、ポパイの遊び道具を買ってきたり、一緒に寝たりしてきた。
本当の息子のように大事にポパイと共に生きてきた。
ポパイもそんな優しい父を本当の父親と思っていたに違いない。
ポパイが夜中に寂しそうに鳴いたりすれば
起きて一緒に散歩に行き
ポパイと散歩に出かけ疲れて動けないときは
抱き上げて家まで帰り
ポパイが動けなくなり水も飲めないときは
口に水を流してあげ
ポパイと別れたくない夜は
寝袋を持ってきて隣に寝て
寝たきりが続き首しか動かせなくなった時はそれに悲しみ
寒い夜は何度も起き
みんなに無駄と言われ
褒められもせず
苦にもされず
父は懸命に看病を繰り返した。
そして、昨日ポパイは死んだ。
僕はそれを物心がついた頃からの知り合いのおじちゃんに聞いた。
昨日の昼に父に会ったときは、まだポパイは生きているとの事だった。
おじちゃんから聞いたのが夕方だった。
僕はとても信じられなかった。
その時は人前であったし、診療時間中だったためポパイの事を考えることはしなかった。
その日は診察も早く終わり、僕はすぐに家に帰った。
最近毎日走って帰ってるのだが、僕は走りながら泣いた。
ポパイとの色んな思い出を振り返っていると、自然と涙がでた。
走っている事自体はきつくないが、僕は足を止めて嗚咽した。
何とも言えない虚無感に襲われ、泣く事しかできなかった。
そして、なんとか家に帰り着き荷物を置いてすぐに実家に帰った。
実家に着き、車から降りようとするが現実を受け入れることができずにいる僕は、中々降りれなかった。
その時には涙は止まり、多分ポパイに会っても泣かないだろうと思った。
車を降り重い足取りの中、玄関の鍵を開け、ポパイの部屋に入るとそこには毛布に包まれたポパイの姿があった。
その瞬間、僕は涙がいっきに出てきた。
すぐにポパイのそばに駆け寄り、生きてるのではないかと色々確認した。
ポパイの手を握ったら嫌がって、握っている僕の手を咬もうとしたり
ポパイの耳を触ると嫌がって、やめろと言ったり
ポパイの鼻をつまむと、嫌な顔をしたり
ポパイのお腹を触り、身体が温かいか確認をしたり
あらゆることを確認したが、ポパイは確かに死んでいた。
ポパイの前には父があげたであろう、昔バクバク食べていた餌が置いてあった。
その横に家から持ってきたお菓子や皮の骨を置き、とにかくポパイの死を悲しんだ。
何度も何度もポパイの耳元に話しかけたが、ポパイが動く事はなかった。
またそこで僕は、嗚咽を繰り返した。
おいポパイ、お前は坂上家にきて幸せだったか?
おいポパイ、お前の人生は楽しかったか?
おいポパイ、思い残す事はないか?
おいポパイ、僕はお前にもっとやれることはなかったか?
おいポパイ、お前は僕を兄と思っていたのか?弟と思っていたのか?
おいポパイ、天国はどうだ?
今日ポパイは鹿児島大学の獣医学部の検体にいった。
その後、火葬された。
今の時間が22時30分だが、このブログを観た人は空を見てほしい。
綺麗な綺麗な満月が夜空に輝いているでしょ?
あなたには普通の満月に見えるかもしれないが、僕にはポパイが笑っているように見える。
以前書いたブログの恩師の死の時も満月だった記憶がある。
満月の夜に思い出す顔が2つに増えた。
できるなら、これ以上増えてほしくない。
こんな悲しみ味わうくらいなら、生き物との関わりをしたくない。
しかし、そう言う訳にはいかないんだ。
僕はポパイの死も受け入れ、前に進まなければならない。
今日、診察が終わり走って帰っている時も泣いた。
これがいつまで続くのかわからない。
しかし、僕は泣いてばかりもいられないはずだ。
答えは自分の中にある、あとは自分でどうにかするしかないんだ。
また僕の背中に1人の命が加わった。
おいポパイ、また天国で会おうな
おいポパイ、またいじめてやるからな
おいポパイ、また一緒に走ろうな
おいポパイ、父ちゃんのそばにいてくれな
おいポパイ、僕と出会ってくれてありがとう。

その当時、僕は親とまともに話もしない日々が続いていた。
誰もが通る思春期に心の癒しを求めていたのか、僕は犬を飼いたくなった。
すると、父が一匹の柴犬を連れてきた。
とても可愛くて、僕はその犬に夢中になった。
名前が中々決まらず、困っていた。
今でもその映像が頭に浮かぶのだが、テレビを見ていたら、外国人が出てきて犬の名前を
『ポパイ』
と呼んでいた。
僕は
『これだ!』
と思った。
それから、その柴犬は日本犬なのに、「ポパイ」と名付けられた。
ポパイを飼い始めてから、段々僕の反抗期も落ち着いてきた。
犬を飼う事で、心が安らいできたんだと思う。
そんな最初の頃のポパイ。
家族の一員になってからもずっと大好きな父の横で寝るポパイ。

高校受験を控えていた僕は、当然受かると思っていた私立の高校をなぜか落ちた。
どうやら鹿児島の高校は、中学校の先生に従順でない生徒を私立高校への合格をさせないらしい。
成績は普通より上の方だった僕が落ちるはずのない高校に落ちた事で、気持ちがどん底に落ちた。
すると、母がどこからかみつけてきた熊本の高校を受験する事になった。
これがまた、運命の転換期でもあった。
僕はその高校に受かり、いつの間にか高校生活を熊本で迎える事となった。
高校生活も色々あったが、それはまた今度の機会にする。
高校の長期休みの時に実家に帰る度に、ポパイは尻尾を思いっきり振って僕を迎えてくれた。
顔中をなめては、物凄くはしゃいでいた。
そんなポパイが可愛くて仕方がなかった。
こんなに毛があるのに、ストーブの前で暖まるのがとても好きなポパイ。

さつま揚げを僕が中々放さないため、手を出してくるポパイ。
それからなんだかんだで、僕は名古屋に行く事になった。
ポパイとはちゃんと生活という生活をしたのは、2年くらいだと思う。
名古屋に行ってからも、帰省の度にポパイは喜んでくれた。
当然僕も、ポパイと会うのが楽しみで仕方がなかった。
そんなポパイは自分を人間だと思っていたらしく、家族が食事をしているとドアの向こうから
『僕を入れてくれよ〜。』
と、アピールしたりしていた。
しかし、そこは父のしつけが良かったのか、部屋に入るには家族の許可が必要だった。
そんな、ドアの狭間で待ちくたびれているポパイ。
ポパイのオフショット。
ポパイはとにかく父が好きだった。
父が行くところ行くところ付いてまわっていた。
父がソファーで寝ていたらソファーの下で寝て、父が床に寝ていたら父の真横で寝て、父が椅子に座っていた椅子の真下で寝て、とにかくポパイは父が大好きだった。
そんな父の横で完全に安心しきったポパイ。

皮の骨っこが大好きで、これを僕が投げてポパイが取りにいって僕に渡すというのを延々と繰り返した。
その皮の骨っこを僕がいたずらで、高い机の上に置き取れないようにして困っているポパイ。
僕のサングラスをかけて、不思議そうな顔をしていたポパイ。
そんな愛くるしいポパイが弱ってきた。
僕が名古屋から帰ってきても迎えにこなくなってきた。
正確に言うと、来れなくなってきた。
ポパイの近くにいっても、あまり喜んだりしなくなった。
僕は嫌われたのだと思った。
僕はいつもポパイをいじめていた。
ポパイをいじめて、いじけて、父に助けを求めるポパイ。
可愛さ余ってというところでしょう。
ポパイは僕の事を完全に兄弟だと思っていた。
当然僕もポパイを兄弟と思っていた。
どっちが上とかじゃなく、双子のようなものだった。
そんないじめにあっても、ポパイは久しぶりに会う僕に尻尾は振ってくれた。
そんなポパイがいつの間にか老犬になっていた。
それを一番感じたのは、散歩の時に走れなくなっていたことだ。
昔は一緒にかけっこをしても僕より早く走っていたポパイが、なんといつの間にか走れなくなっていた。
僕はショックだった。
無理矢理引っ張って走ったりしたが、走れなかった。
そこまで弱っているとは僕には想像もできなかった。
たまに会うポパイはいつまでもあの若々しいポパイだと思っていた。
そして、開業するため名古屋から鹿児島に帰ってくる事になった。
最初の1ヶ月、実家に住んだ。
その頃、僕は妻と一緒に飼ったダックスを2匹飼っていた。
まだ3歳くらいの若さに溢れるピチピチの犬だ。
今も僕の膝で寝ている2匹のダックス。
ポパイは自分を人間と思っているから他の犬を極度に嫌うため、この2匹を寄せ付けなかった。
ポパイはこの頃走ったりすることはできないけど、まだ比較的元気であった。
そんな実家暮らしも1ヶ月すぎてマンション暮らしが始まった。
それからポパイと会う機会はめっきり減った。
そしてポパイは、会う度に衰えていた。
父が整骨院に来たときに、ポパイの状況を聞いていく度に弱っていってるのがわかった。
僕はそんな弱ったポパイに会いたくなかった。
やはり僕の中でポパイはあの元気だったポパイなのだ。
今年に入り、たまに実家に帰ると昔の見る影もなかった。
簡単に越えていた段差も、越えることができなくなっていた。
足を引きずって、まともに歩くことができなくなっていた。
また、目が見えなくなってきていたようだった。
父の事務所の中を歩き回って、壁にぶつかったりしていた。
ひどい時は壁にぶつかって、口を切り、床中に血が落ちていることもあった。
その大量に血が落ちていた頃から、これ以上自由にしていると危険ということで、家の中でもリードをつけるようにした。
人間でも同じですが、動かなくなると生き物はすぐに弱っていく。
そこからのポパイの弱り具合は目を覆う程だった。
プクプクと、ふくよかだった身体も、やせ細った身体にはあばら骨が浮かび、食も細くなりますます歩けなくなっていった。
昔は身体を触られるのが嫌で、僕が触るとすぐに怒っていたのが怒る元気もなくなっていた。
排便・排尿も散歩のときにちゃんと出来ていたのが、それさえもできなくなり家の中でしてしまうようになった。
ポパイとしては、散歩でしたかったと思うのだが足が動かなくなり、不本意ながらできないのだ。
そんなポパイを診ていた父が一番悲しかったと思う。
僕なんてたまにしか会ったりしなかったが、父はポパイが弱っていく姿をずっと見ていたのだ。
生まれたての頃から毎日散歩に連れて行ったり、ポパイの遊び道具を買ってきたり、一緒に寝たりしてきた。
本当の息子のように大事にポパイと共に生きてきた。
ポパイもそんな優しい父を本当の父親と思っていたに違いない。
ポパイが夜中に寂しそうに鳴いたりすれば
起きて一緒に散歩に行き
ポパイと散歩に出かけ疲れて動けないときは
抱き上げて家まで帰り
ポパイが動けなくなり水も飲めないときは
口に水を流してあげ
ポパイと別れたくない夜は
寝袋を持ってきて隣に寝て
寝たきりが続き首しか動かせなくなった時はそれに悲しみ
寒い夜は何度も起き
みんなに無駄と言われ
褒められもせず
苦にもされず
父は懸命に看病を繰り返した。
そして、昨日ポパイは死んだ。
僕はそれを物心がついた頃からの知り合いのおじちゃんに聞いた。
昨日の昼に父に会ったときは、まだポパイは生きているとの事だった。
おじちゃんから聞いたのが夕方だった。
僕はとても信じられなかった。
その時は人前であったし、診療時間中だったためポパイの事を考えることはしなかった。
その日は診察も早く終わり、僕はすぐに家に帰った。
最近毎日走って帰ってるのだが、僕は走りながら泣いた。
ポパイとの色んな思い出を振り返っていると、自然と涙がでた。
走っている事自体はきつくないが、僕は足を止めて嗚咽した。
何とも言えない虚無感に襲われ、泣く事しかできなかった。
そして、なんとか家に帰り着き荷物を置いてすぐに実家に帰った。
実家に着き、車から降りようとするが現実を受け入れることができずにいる僕は、中々降りれなかった。
その時には涙は止まり、多分ポパイに会っても泣かないだろうと思った。
車を降り重い足取りの中、玄関の鍵を開け、ポパイの部屋に入るとそこには毛布に包まれたポパイの姿があった。
その瞬間、僕は涙がいっきに出てきた。
すぐにポパイのそばに駆け寄り、生きてるのではないかと色々確認した。
ポパイの手を握ったら嫌がって、握っている僕の手を咬もうとしたり
ポパイの耳を触ると嫌がって、やめろと言ったり
ポパイの鼻をつまむと、嫌な顔をしたり
ポパイのお腹を触り、身体が温かいか確認をしたり
あらゆることを確認したが、ポパイは確かに死んでいた。
ポパイの前には父があげたであろう、昔バクバク食べていた餌が置いてあった。
その横に家から持ってきたお菓子や皮の骨を置き、とにかくポパイの死を悲しんだ。
何度も何度もポパイの耳元に話しかけたが、ポパイが動く事はなかった。
またそこで僕は、嗚咽を繰り返した。
おいポパイ、お前は坂上家にきて幸せだったか?
おいポパイ、お前の人生は楽しかったか?
おいポパイ、思い残す事はないか?
おいポパイ、僕はお前にもっとやれることはなかったか?
おいポパイ、お前は僕を兄と思っていたのか?弟と思っていたのか?
おいポパイ、天国はどうだ?
今日ポパイは鹿児島大学の獣医学部の検体にいった。
その後、火葬された。
今の時間が22時30分だが、このブログを観た人は空を見てほしい。
綺麗な綺麗な満月が夜空に輝いているでしょ?
あなたには普通の満月に見えるかもしれないが、僕にはポパイが笑っているように見える。
以前書いたブログの恩師の死の時も満月だった記憶がある。
満月の夜に思い出す顔が2つに増えた。
できるなら、これ以上増えてほしくない。
こんな悲しみ味わうくらいなら、生き物との関わりをしたくない。
しかし、そう言う訳にはいかないんだ。
僕はポパイの死も受け入れ、前に進まなければならない。
今日、診察が終わり走って帰っている時も泣いた。
これがいつまで続くのかわからない。
しかし、僕は泣いてばかりもいられないはずだ。
答えは自分の中にある、あとは自分でどうにかするしかないんだ。
また僕の背中に1人の命が加わった。
おいポパイ、また天国で会おうな
おいポパイ、またいじめてやるからな
おいポパイ、また一緒に走ろうな
おいポパイ、父ちゃんのそばにいてくれな
おいポパイ、僕と出会ってくれてありがとう。
2012年11月26日
うつは相撲で治る
昨日生まれて初めてまわしを着けて相撲をとりました。
吹上の妙見神社という神社の奉納相撲に参加しました。
最初は小学生からの取り組みでした。
小学4年生までは男女混ざってやってました。
そのくらいの歳まではそんなに体力差はありませんので、女の子が勝ったりしてました。
何を隠そう、僕も中学一年生の時女子に腕相撲で負けた事があります。
中学に入ってから男の子は成長が著しくなりますので、そんなもんだと思います。
取り組みも高学年になればなるほど、見応えもでてきます。
中学生の取り組みになると、さすがに女の子はいませんでした。
女性相撲はこれから発展していくものだと思います。
今、鹿児島相撲協会は女性相撲に力を入れているようです。
この話はもしかしたら、来年度にでもできるかもしれませんので、楽しみにしていてください。
中学生が終わると、オニギリと豚汁の配布がありました。
とても美味しかったです。
その後、高校生の相撲が始まりました。
ここで、少しだけ鹿児島の高校相撲の事を書こうと思います。
鹿児島県には3つの高校で相撲部が存在します。
鹿児島実業高校・鹿児島商業高校・鹿児島樟南高校の3つです。
鹿児島県は全国でも相撲は強いです。
もっと詳しくはケンタ君に書いてもらいます。
とにかく、高校生が相撲を取り出すとやはり本格的な相撲となるのでみんな真剣に見出しました。
大相撲でも同じですが、熱戦には湧いていました。
その後どうやら一般の部があるということで僕も着替え始めました。
初めてのまわしに戸惑いながら、ケンタ君に巻いてもらいました。
この寒空の中で、まわし一枚というのはとんでもない状況でした。
とにかく、寒かったです。
全身がガクガクブルブルでした。
恥ずかしいとかの前に寒くてどうにかなりそうでした。
今年は一般の部が多かったらしく、14人いました。
トーナメント戦になりました。
次々に、相撲がとられていき、ついに僕の番になりました。
なんだかルールもわからないまま、大相撲で観たことを思い出しながら相撲をとることにしました。
観ているときは
『この力士は腰が高い!なんで腰をもっと低くしないんだ!だから勝てないんだよ!』
と、言っていましたが実際相撲をするとわかりますが思った以上に腰があがるんです。
僕の中では地面スレスレまで下げたつもりの状態です。

手前の少年が僕です。
最初の一番は勝ちました。
その一番でかなり疲れきりました。
全身の筋肉が悲鳴をあげ、息が切れてどうしようもない状況になりました。
しかし、先ほどの寒さが嘘のように全く感じませんでした。
それから、閉会式みたいなのが終わって着替えるまで全然寒くありませんでした。
体を動かしたからというのと、相撲をとってアドレナリンが大量放出されたんだと思います。
僕の戦いは次の人にあっけなく負けて終わりました。
その後、三人抜きをするとのことになりました。
三人抜いた人にはお駄賃がでるんです。
僕も何度か挑戦しましたけど、それはそれはきつくてどうしようもない状況でした。
運動神経がとにかく良すぎる僕は、相撲をとればとるほどうまくなっていってる実感が湧いてきました。
そして、ケンタ君と戦うことにしました。
ケンタ君も疲れていたというのもありますが、なんと僕が瞬殺してしまいました。
その倒した瞬間です。

もちろん、倒れてるのがケンタ君です。
ま、僕が本気をだしたら余裕ですよ。
しかも、その後2人を倒して3人抜きを達成してしまいました。
これでやっとで食にありつけると喜ぶ光少年。

それが終わると閉会式みたいなのがありました。
今度の衆議院選挙に出る人の話があったのですが、僕はその間、吐くのを必死に堪えてました。
急速な酸素不足になると、急にあくびをしたくなります。
これは、脳が
『酸素がないんですけどー!酸素頂戴!』
と叫ぶ為です。
その間、吐き気にも襲われます。
ありがたい話なんて、その場をどう乗り切るか必死で全く聞いてませんでした。
なんとか、その場を乗り切った僕は久しぶりに冷や汗というものをかきました。
この写真が世界中に出回ってしまうのではないかと心配ですが、そんなファンサービスも惜しまないショットです。

本当はもっときわどい写真もあったのですが、最後の手段にとっておきます。
とにかく、相撲は観るより戦った方が楽しいです!
相撲をとる機会なんてまず中々ないでしょうが、もしあったらやるといいですよ。
最初は恥ずかしいですが、一回やってしまえばなんとも思わなくなります。
今度がいつあるかわかりませんが、そのときは事前に告知でもしますね。
今回は僕が相撲をとるということで、もし事前に告知をしていたら大勢の女性で会場がパニックになると思われたのでやめておきました。
それはさておき、題名にもありますが、相撲をとればうつも治ると思います。
なんでかといわれると、色々話したいですが、多分相撲をやればわかります。
僕は鹿児島の相撲をもっともっと普及させたいです。
そして、相撲と言ったら鹿児島、関取と言ったら鹿児島、横綱と言ったら鹿児島と言われるようにしたいです。
その為に相撲をやってみました。
何事も体験してみないとわかりません。
世の中学術的なことでは証明できないことがほとんどです。
まずはやらなければ、何もわかりません。
皆さんに少しでも、相撲に関心が湧いて頂けるよう、このブログでどんどん相撲の事をアップしていきます。
皆さんの関心が湧いて、相撲大会の時に盛り上がっていけたら幸いです。
鹿児島県民みんなで、相撲を盛り上げていきましょう!
ホームページはこちら
吹上の妙見神社という神社の奉納相撲に参加しました。
最初は小学生からの取り組みでした。
小学4年生までは男女混ざってやってました。
そのくらいの歳まではそんなに体力差はありませんので、女の子が勝ったりしてました。
何を隠そう、僕も中学一年生の時女子に腕相撲で負けた事があります。
中学に入ってから男の子は成長が著しくなりますので、そんなもんだと思います。
取り組みも高学年になればなるほど、見応えもでてきます。
中学生の取り組みになると、さすがに女の子はいませんでした。
女性相撲はこれから発展していくものだと思います。
今、鹿児島相撲協会は女性相撲に力を入れているようです。
この話はもしかしたら、来年度にでもできるかもしれませんので、楽しみにしていてください。
中学生が終わると、オニギリと豚汁の配布がありました。
とても美味しかったです。
その後、高校生の相撲が始まりました。
ここで、少しだけ鹿児島の高校相撲の事を書こうと思います。
鹿児島県には3つの高校で相撲部が存在します。
鹿児島実業高校・鹿児島商業高校・鹿児島樟南高校の3つです。
鹿児島県は全国でも相撲は強いです。
もっと詳しくはケンタ君に書いてもらいます。
とにかく、高校生が相撲を取り出すとやはり本格的な相撲となるのでみんな真剣に見出しました。
大相撲でも同じですが、熱戦には湧いていました。
その後どうやら一般の部があるということで僕も着替え始めました。
初めてのまわしに戸惑いながら、ケンタ君に巻いてもらいました。
この寒空の中で、まわし一枚というのはとんでもない状況でした。
とにかく、寒かったです。
全身がガクガクブルブルでした。
恥ずかしいとかの前に寒くてどうにかなりそうでした。
今年は一般の部が多かったらしく、14人いました。
トーナメント戦になりました。
次々に、相撲がとられていき、ついに僕の番になりました。
なんだかルールもわからないまま、大相撲で観たことを思い出しながら相撲をとることにしました。
観ているときは
『この力士は腰が高い!なんで腰をもっと低くしないんだ!だから勝てないんだよ!』
と、言っていましたが実際相撲をするとわかりますが思った以上に腰があがるんです。
僕の中では地面スレスレまで下げたつもりの状態です。
手前の少年が僕です。
最初の一番は勝ちました。
その一番でかなり疲れきりました。
全身の筋肉が悲鳴をあげ、息が切れてどうしようもない状況になりました。
しかし、先ほどの寒さが嘘のように全く感じませんでした。
それから、閉会式みたいなのが終わって着替えるまで全然寒くありませんでした。
体を動かしたからというのと、相撲をとってアドレナリンが大量放出されたんだと思います。
僕の戦いは次の人にあっけなく負けて終わりました。
その後、三人抜きをするとのことになりました。
三人抜いた人にはお駄賃がでるんです。
僕も何度か挑戦しましたけど、それはそれはきつくてどうしようもない状況でした。
運動神経がとにかく良すぎる僕は、相撲をとればとるほどうまくなっていってる実感が湧いてきました。
そして、ケンタ君と戦うことにしました。
ケンタ君も疲れていたというのもありますが、なんと僕が瞬殺してしまいました。
その倒した瞬間です。
もちろん、倒れてるのがケンタ君です。
ま、僕が本気をだしたら余裕ですよ。
しかも、その後2人を倒して3人抜きを達成してしまいました。
これでやっとで食にありつけると喜ぶ光少年。
それが終わると閉会式みたいなのがありました。
今度の衆議院選挙に出る人の話があったのですが、僕はその間、吐くのを必死に堪えてました。
急速な酸素不足になると、急にあくびをしたくなります。
これは、脳が
『酸素がないんですけどー!酸素頂戴!』
と叫ぶ為です。
その間、吐き気にも襲われます。
ありがたい話なんて、その場をどう乗り切るか必死で全く聞いてませんでした。
なんとか、その場を乗り切った僕は久しぶりに冷や汗というものをかきました。
この写真が世界中に出回ってしまうのではないかと心配ですが、そんなファンサービスも惜しまないショットです。
本当はもっときわどい写真もあったのですが、最後の手段にとっておきます。
とにかく、相撲は観るより戦った方が楽しいです!
相撲をとる機会なんてまず中々ないでしょうが、もしあったらやるといいですよ。
最初は恥ずかしいですが、一回やってしまえばなんとも思わなくなります。
今度がいつあるかわかりませんが、そのときは事前に告知でもしますね。
今回は僕が相撲をとるということで、もし事前に告知をしていたら大勢の女性で会場がパニックになると思われたのでやめておきました。
それはさておき、題名にもありますが、相撲をとればうつも治ると思います。
なんでかといわれると、色々話したいですが、多分相撲をやればわかります。
僕は鹿児島の相撲をもっともっと普及させたいです。
そして、相撲と言ったら鹿児島、関取と言ったら鹿児島、横綱と言ったら鹿児島と言われるようにしたいです。
その為に相撲をやってみました。
何事も体験してみないとわかりません。
世の中学術的なことでは証明できないことがほとんどです。
まずはやらなければ、何もわかりません。
皆さんに少しでも、相撲に関心が湧いて頂けるよう、このブログでどんどん相撲の事をアップしていきます。
皆さんの関心が湧いて、相撲大会の時に盛り上がっていけたら幸いです。
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2012年11月16日
鹿児島でワインを買うなら
今日はワインの初物、ヴォジョレー・ヌーヴォーの解禁日でしたね。
ワイン好きの僕は久しぶりに飲む事にしました。
予約をしないと飲めないと思われるボジョレーを買いました。
その予約したお店というのがここです。
鹿児島の交通局の近くにある、鹿児島のワイン好きなら間違いなく知っている『岡山酒店』です。

この店を知ったのは、ある患者さんの紹介でした。
元々ワインなんて好きでもなかった僕でしたが、前のブログで書いたフランスでの旅日記の中で出逢った白ワインからワインを好むようになりました。
それと、名古屋が焼酎を好む風土ではなかったので、ワインを飲むようになりました。
それで鹿児島に帰ってきてからもワインを探していましたら、この店と出逢いました。
この店には通常の酒屋ではまず置いてないであろうワインが置いてあります。
例えば、ドイツワインのフランケン地方の独特なボトルをしているワインもかなりリーズナブルな値段で置いてあります。
しかも、そのお店のワインの購入方法は、実際ワインを作っている場所に出向き、生産者と話をして、味を確かめてから決めるという徹底ぶりです。
なので、僕が初めてお店に行った時に
『何かおすすめのものはありますか?』
と聞くと
『全ておすすめです。』
と言われました。
それほど全てのワインに自信を持っており、どこに、どのような、どうやって飲むかということが全て頭に入っているみたいです。
そんなお店の入り口から撮った写真です。

お店の中に入り、少し奥にワインがちゃんとした温度と湿度で保たれた、雰囲気も抜群の場所に置いてあります。
そんな奥にあるワインたちです。

国ごとに別けられたワインたちが、整然と並べられています。
もう一枚。

この写真は少し明るめに撮られていますが、実際はもうちょっと暗いイメージです。
様々なワインに出逢うと、どれも美味しそうに見えて仕方なくなります。
なぜかここで突然出てくるケンタ君。

そうです、大変嬉しい事にまた名古屋からケーキが届いたのです!
突然話が変わりますが、また届いたのです!
朝ケンタ君に
『今日の午前中にケーキが届くよ』
と伝えると、彼は動揺を隠せないのか同じ場所をずっと掃除し続けました。
そして、朝のミーティングを終え、朝一番の患者さんを待っていました。
すると、当然患者さんがみえました。
その瞬間、ふとケンタ君を見ると、かなり落ち込んでいました。
それから一時して、それは訪れました。
配達屋さんが来た瞬間、ケンタ君は入り口に走って行き、
『ケーキですか!?』
と息を荒げ適当にサインをすまし、自分の手元にたぐり寄せました。
基本的に施術中は僕に話しかけないケンタ君が
『先生、ケーキが届いたであります!』
と興奮気味で軍隊用語を使ってきました。
患者さんがいるため、すぐには食べれないので冷蔵庫に保管しておくよう指示をだすと、彼は小さく舌打ちをしました。
食べ物がかかっているときの彼をとめることはできません。
それからというもの、彼はとにかく患者さんに早く帰ってもらうよう懸命な努力を繰り返していました。
いつもは積極的に患者さんとコミュニケーションをとろうとするようになった彼ですが、その日は無言で淡々と仕事をしていました。
やっとで患者さんが誰もいなくなり、一息つく間もなく僕に
『先生、ケーキはどうするんですか?!』
と来た為、食べる事にしました。
いつもの恒例の我慢タイムです。

もう我慢のできない彼は白衣の上は脱ぎ捨て、僕のカメラには全く目を合わせる事なくケーキのことだけを考えていました。
その後の瞬間が今回のケンタ君の一枚目の写真です。
さすがに直接食べるのはよくないと思い、フォークを出すと彼はイライラしながらそれを僕から奪いました。
これがケンタ君の至福の一時です。

見てください、この幸せそうな彼の顔を。
彼はこのケーキを10秒程で食べ終わり、学校に行かなければならない時間ではあったのですが、またあの名言がでました。
『〆にケーキでも食べるか。』
それからはフォークでは食べる事が遅くなると悟った彼は、なんと箸で食べ始めました。
彼を止める事は誰にもできない、暴走モードに入りました。
あっという間に2つの大容量のケーキを食べたケンタ君はすぐに学校へ向かいました。
Kさんいつも美味しいカフェタナカのケーキありがとうございます!
全くもって話がそれました。
そうです、ワインの話です。
そのお店の店長さんや奥様は本当にワインの事に詳しく、何を聞いても返事があります。
例えば、
『記念日にワインを贈りたい。その人は、こんな性格で、こんなワインが好みです。なので、これ系のワインをください。』
と言うと、
『ここはそれ系ではなく、こんな感じの物もいいのではないでしょうか?』
と言われ、実際それをお渡しすると大変喜ばれるのです。
もちろん、自分の欲しい物を頼んでもちゃんと答えがでますし、この料理に合ったワインをください、と言ってもちゃんと答えがでます。
ここまで褒めると
『どうせ高いんでしょ?』
と思われるかもしれません。
確かに、焼酎に比べたらワインは高いです。
それは全く否定しません。
しかし、本格的にワインを飲みたいのであれば、ある程度の出費は必要です。
このお店はそれを最小限に抑えた価格で飲む事ができると僕は思ってます。
最高のワインとコストパフォーマンスが味わえるお店はそんなにないと思います。
まー、騙されたと思って行くといいですよ。
きっと素敵な出逢いがあると思います。
ここで、僕の格言で終わりを迎えたいと思います。
『ワインと本は出逢った瞬間のインスピレーションで買うべきだ。』
長々と失礼しました。
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ワイン好きの僕は久しぶりに飲む事にしました。
予約をしないと飲めないと思われるボジョレーを買いました。
その予約したお店というのがここです。
鹿児島の交通局の近くにある、鹿児島のワイン好きなら間違いなく知っている『岡山酒店』です。

この店を知ったのは、ある患者さんの紹介でした。
元々ワインなんて好きでもなかった僕でしたが、前のブログで書いたフランスでの旅日記の中で出逢った白ワインからワインを好むようになりました。
それと、名古屋が焼酎を好む風土ではなかったので、ワインを飲むようになりました。
それで鹿児島に帰ってきてからもワインを探していましたら、この店と出逢いました。
この店には通常の酒屋ではまず置いてないであろうワインが置いてあります。
例えば、ドイツワインのフランケン地方の独特なボトルをしているワインもかなりリーズナブルな値段で置いてあります。
しかも、そのお店のワインの購入方法は、実際ワインを作っている場所に出向き、生産者と話をして、味を確かめてから決めるという徹底ぶりです。
なので、僕が初めてお店に行った時に
『何かおすすめのものはありますか?』
と聞くと
『全ておすすめです。』
と言われました。
それほど全てのワインに自信を持っており、どこに、どのような、どうやって飲むかということが全て頭に入っているみたいです。
そんなお店の入り口から撮った写真です。

お店の中に入り、少し奥にワインがちゃんとした温度と湿度で保たれた、雰囲気も抜群の場所に置いてあります。
そんな奥にあるワインたちです。

国ごとに別けられたワインたちが、整然と並べられています。
もう一枚。

この写真は少し明るめに撮られていますが、実際はもうちょっと暗いイメージです。
様々なワインに出逢うと、どれも美味しそうに見えて仕方なくなります。
なぜかここで突然出てくるケンタ君。

そうです、大変嬉しい事にまた名古屋からケーキが届いたのです!
突然話が変わりますが、また届いたのです!
朝ケンタ君に
『今日の午前中にケーキが届くよ』
と伝えると、彼は動揺を隠せないのか同じ場所をずっと掃除し続けました。
そして、朝のミーティングを終え、朝一番の患者さんを待っていました。
すると、当然患者さんがみえました。
その瞬間、ふとケンタ君を見ると、かなり落ち込んでいました。
それから一時して、それは訪れました。
配達屋さんが来た瞬間、ケンタ君は入り口に走って行き、
『ケーキですか!?』
と息を荒げ適当にサインをすまし、自分の手元にたぐり寄せました。
基本的に施術中は僕に話しかけないケンタ君が
『先生、ケーキが届いたであります!』
と興奮気味で軍隊用語を使ってきました。
患者さんがいるため、すぐには食べれないので冷蔵庫に保管しておくよう指示をだすと、彼は小さく舌打ちをしました。
食べ物がかかっているときの彼をとめることはできません。
それからというもの、彼はとにかく患者さんに早く帰ってもらうよう懸命な努力を繰り返していました。
いつもは積極的に患者さんとコミュニケーションをとろうとするようになった彼ですが、その日は無言で淡々と仕事をしていました。
やっとで患者さんが誰もいなくなり、一息つく間もなく僕に
『先生、ケーキはどうするんですか?!』
と来た為、食べる事にしました。
いつもの恒例の我慢タイムです。
もう我慢のできない彼は白衣の上は脱ぎ捨て、僕のカメラには全く目を合わせる事なくケーキのことだけを考えていました。
その後の瞬間が今回のケンタ君の一枚目の写真です。
さすがに直接食べるのはよくないと思い、フォークを出すと彼はイライラしながらそれを僕から奪いました。
これがケンタ君の至福の一時です。

見てください、この幸せそうな彼の顔を。
彼はこのケーキを10秒程で食べ終わり、学校に行かなければならない時間ではあったのですが、またあの名言がでました。
『〆にケーキでも食べるか。』
それからはフォークでは食べる事が遅くなると悟った彼は、なんと箸で食べ始めました。
彼を止める事は誰にもできない、暴走モードに入りました。
あっという間に2つの大容量のケーキを食べたケンタ君はすぐに学校へ向かいました。
Kさんいつも美味しいカフェタナカのケーキありがとうございます!
全くもって話がそれました。
そうです、ワインの話です。
そのお店の店長さんや奥様は本当にワインの事に詳しく、何を聞いても返事があります。
例えば、
『記念日にワインを贈りたい。その人は、こんな性格で、こんなワインが好みです。なので、これ系のワインをください。』
と言うと、
『ここはそれ系ではなく、こんな感じの物もいいのではないでしょうか?』
と言われ、実際それをお渡しすると大変喜ばれるのです。
もちろん、自分の欲しい物を頼んでもちゃんと答えがでますし、この料理に合ったワインをください、と言ってもちゃんと答えがでます。
ここまで褒めると
『どうせ高いんでしょ?』
と思われるかもしれません。
確かに、焼酎に比べたらワインは高いです。
それは全く否定しません。
しかし、本格的にワインを飲みたいのであれば、ある程度の出費は必要です。
このお店はそれを最小限に抑えた価格で飲む事ができると僕は思ってます。
最高のワインとコストパフォーマンスが味わえるお店はそんなにないと思います。
まー、騙されたと思って行くといいですよ。
きっと素敵な出逢いがあると思います。
ここで、僕の格言で終わりを迎えたいと思います。
『ワインと本は出逢った瞬間のインスピレーションで買うべきだ。』
長々と失礼しました。
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2012年11月12日
ヨーロッパ旅行 inローテンブルグ
9月24日 PM9:36 ローテンブルグ
今日ザルツブルグからミュンヘンに行って、乗り換えたらまたザルツブルグに向かってて2時間無駄にしてしまった。
そして、なんとか乗り換えに乗り換えて、人に聞きまくってなんとかローテンブルグに着いた。
そしたらユースホステルが空いてなくて、ペンションに泊まった。
まー多少高いけど、最後だしお疲れってことでもう諦めたの。
そして、城壁を歩いて回って、最後ら辺で、1人で凄いのんびりしてベンチに座った。
こんな城壁の中を1人で歩いて回りました。

全く綺麗さが伝わりませんが、1人で楽しんでいるのだけはわかると思います。

あれを見せる為においらは遅れたんだと思った。
綺麗だったなー。
そして、変な店に入って、しかも1人でかなり勇気を振り絞って入った。
そしたら、ビールはまずい、スープもまずい、メインもまずい、普通なのがサラダしかなくて、あれを本に載せたらいけないと思いました。
もう二度と行く事はないです。
味が濃い過ぎた。
あんなの食ってたら絶対血管の病気を起こしますよ。
しかし、この旅も今日で終わりを迎えました。
明日の夜ついに帰ります。
シンガポールで9時間待機ってのがまじうざいけど、何かしときます。
明日、フランクフルトで教会を巡って帰ります。
何とかなると思います。
今までのように。
旅の一番はタイ人でした。
回想:日記の中で紹介されたお店は、日本語表記のガイドブックに
『この店がおすすめ!』
と書かれていたので入ったんです。
味の記憶は全くありませんが、とにかく不味かったことしか覚えていません。
サラダで口直しを一回一回しないと、食べれない程の酷い味でした。
それまで1人で飲食店に入ったのは、パリでのマクドナルドだけでした。
マックならなんとかなるものですが、お店に入るということはかなりの勇気がいりましたがどうしても、ドイツのビールとソーセージを食べたかったのです。
しかし、地ビールがとにかく不味かった。
スープは確か魚の肝が入っていたような記憶がありますが、とにかく不味かった。
メインはジャガイモと肉料理だった記憶がありますが、とにかく不味かった。
ソーセージを食べることもできないくらい戦意喪失しました。
多分店が悪かったんだと思います。
街自体はとても綺麗で素晴らしいものでした。
そもそも、泊まれないと思って野宿する予定でしたし、ちょっとしたペンションでしたが最後は気持ちよく寝れました。
もちろん、チップの習慣にも慣れましたし、欧米の女性を口説く手段も手にしました。
9月25日 PM7:56 フランクフルト空港
やっとでこの日がきた。
かなりウキウキしてる。
まーあと20時間は飛行機の中だけどね。
シンガポールでプールでも入ろうかな。
1000円らしいし、暇だし、どうでもいいや。
今日はマインツとフランクフルト市内にいこうとしたが、ケルン大聖堂の方が良さそうだったので、なんとなく行ってみた。
ICEで1時間もかからなかった。
あれはあれででかくて綺麗だったけど、もうすでに慣れてしまった。
中はそんなにって感じだった。
一番の教会はやっぱりストラスブールとザルツブルグの5つのパイプオルガンがあるとこだな。
あそこにはさすがに度肝を抜かれました。
色々最高の思い出ができた。
この時期に来てまじでよかった。
少しだけ世界を垣間見たような気がしました。
特に成長したって感じはないけど、考えが色々、というか発想が膨らみました。
これをいかしていきます。
今マックにいるけど、高かった。
普通のセットが5、4ユーロも、日本円で800円ですよ。
まじ高ー。
日本に来ている外国人に優しくしようと思いました。
特にドイツ人には最高のサービスをしようと思います。
特にミュンヘン人には!!
絶対またきます。
そして、これまた運が良い事に、空港に入ってからいつかはわからないけど、雨が降ってきました。
最初パリでは、雨が降って多少濡れたけど、ユースホステルに入って外に出たら晴れてた!
そしてそれから、この今まで雨なんて全く降りませんでした。
晴れに晴れまくってました。
それなりに悪いこともあったけど、特に大したことでもないし、良い事の方が多かったです!
この旅が私の将来の糧になるといいな。
まだ家に帰り着いてもないのに、長々となってしまった。
だってもうここまでやれたんだもん。
あとは、飛行機が落ちでもしない限り問題ないと思います。
シンガポールで気を付けるだけだ!
無事に家に帰り着くように!!
回想:これでヨーロッパ旅行の話も終わります。
非常に長過ぎました。
とにかく、学生のうちに何でも思い立った事はやった方がいいと思います。
この旅は本当に良かった。
もっと、海外に行っとけばよかったと反省していますが、これからでも遅くないかなと思ってます。
なんといっても、海外進出を考えてますから!
この旅を終えてから、僕の人生の格言になったものを紹介して終わろうと思います。
『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
本当に長い間ありがとうございました。
別にこのブログ自体が終わる訳ではありませんからね!
今日ザルツブルグからミュンヘンに行って、乗り換えたらまたザルツブルグに向かってて2時間無駄にしてしまった。
そして、なんとか乗り換えに乗り換えて、人に聞きまくってなんとかローテンブルグに着いた。
そしたらユースホステルが空いてなくて、ペンションに泊まった。
まー多少高いけど、最後だしお疲れってことでもう諦めたの。
そして、城壁を歩いて回って、最後ら辺で、1人で凄いのんびりしてベンチに座った。
こんな城壁の中を1人で歩いて回りました。
全く綺麗さが伝わりませんが、1人で楽しんでいるのだけはわかると思います。

あれを見せる為においらは遅れたんだと思った。
綺麗だったなー。
そして、変な店に入って、しかも1人でかなり勇気を振り絞って入った。
そしたら、ビールはまずい、スープもまずい、メインもまずい、普通なのがサラダしかなくて、あれを本に載せたらいけないと思いました。
もう二度と行く事はないです。
味が濃い過ぎた。
あんなの食ってたら絶対血管の病気を起こしますよ。
しかし、この旅も今日で終わりを迎えました。
明日の夜ついに帰ります。
シンガポールで9時間待機ってのがまじうざいけど、何かしときます。
明日、フランクフルトで教会を巡って帰ります。
何とかなると思います。
今までのように。
旅の一番はタイ人でした。
回想:日記の中で紹介されたお店は、日本語表記のガイドブックに
『この店がおすすめ!』
と書かれていたので入ったんです。
味の記憶は全くありませんが、とにかく不味かったことしか覚えていません。
サラダで口直しを一回一回しないと、食べれない程の酷い味でした。
それまで1人で飲食店に入ったのは、パリでのマクドナルドだけでした。
マックならなんとかなるものですが、お店に入るということはかなりの勇気がいりましたがどうしても、ドイツのビールとソーセージを食べたかったのです。
しかし、地ビールがとにかく不味かった。
スープは確か魚の肝が入っていたような記憶がありますが、とにかく不味かった。
メインはジャガイモと肉料理だった記憶がありますが、とにかく不味かった。
ソーセージを食べることもできないくらい戦意喪失しました。
多分店が悪かったんだと思います。
街自体はとても綺麗で素晴らしいものでした。
そもそも、泊まれないと思って野宿する予定でしたし、ちょっとしたペンションでしたが最後は気持ちよく寝れました。
もちろん、チップの習慣にも慣れましたし、欧米の女性を口説く手段も手にしました。
9月25日 PM7:56 フランクフルト空港
やっとでこの日がきた。
かなりウキウキしてる。
まーあと20時間は飛行機の中だけどね。
シンガポールでプールでも入ろうかな。
1000円らしいし、暇だし、どうでもいいや。
今日はマインツとフランクフルト市内にいこうとしたが、ケルン大聖堂の方が良さそうだったので、なんとなく行ってみた。
ICEで1時間もかからなかった。
あれはあれででかくて綺麗だったけど、もうすでに慣れてしまった。
中はそんなにって感じだった。
一番の教会はやっぱりストラスブールとザルツブルグの5つのパイプオルガンがあるとこだな。
あそこにはさすがに度肝を抜かれました。
色々最高の思い出ができた。
この時期に来てまじでよかった。
少しだけ世界を垣間見たような気がしました。
特に成長したって感じはないけど、考えが色々、というか発想が膨らみました。
これをいかしていきます。
今マックにいるけど、高かった。
普通のセットが5、4ユーロも、日本円で800円ですよ。
まじ高ー。
日本に来ている外国人に優しくしようと思いました。
特にドイツ人には最高のサービスをしようと思います。
特にミュンヘン人には!!
絶対またきます。
そして、これまた運が良い事に、空港に入ってからいつかはわからないけど、雨が降ってきました。
最初パリでは、雨が降って多少濡れたけど、ユースホステルに入って外に出たら晴れてた!
そしてそれから、この今まで雨なんて全く降りませんでした。
晴れに晴れまくってました。
それなりに悪いこともあったけど、特に大したことでもないし、良い事の方が多かったです!
この旅が私の将来の糧になるといいな。
まだ家に帰り着いてもないのに、長々となってしまった。
だってもうここまでやれたんだもん。
あとは、飛行機が落ちでもしない限り問題ないと思います。
シンガポールで気を付けるだけだ!
無事に家に帰り着くように!!
回想:これでヨーロッパ旅行の話も終わります。
非常に長過ぎました。
とにかく、学生のうちに何でも思い立った事はやった方がいいと思います。
この旅は本当に良かった。
もっと、海外に行っとけばよかったと反省していますが、これからでも遅くないかなと思ってます。
なんといっても、海外進出を考えてますから!
この旅を終えてから、僕の人生の格言になったものを紹介して終わろうと思います。
『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり』
本当に長い間ありがとうございました。
別にこのブログ自体が終わる訳ではありませんからね!
2012年11月11日
ヨーロッパ旅行 inザルツブルグ
9月23日 ザルツブルグ
今日はザルツを歩き回りました。
とても疲れた。
モーツァルトの生家らしい。
街中音楽が流れてた。
街並も綺麗だった。
城に登ったが、まじで疲れた。
結構な山の上にあって、確かに景色は良かったが、城の頂上への行き方がわからないくて結局妥協した。
軽く心残りではあるが、しょうがない。
言葉がわからないんだもん。
城の中から街を眺めました。

あと、教会に行ったらすごい造りで、前にパイプオルガンが4つ、後ろに大きいのが1つあった。
2つ弾いてたけど、もしあれが全部使われてたらかなり凄いだろうな。
前のパイプオルガンが両サイドにあるのがわかると思います。

明日はまたドイツでローテンブルグだ。
ロマンティック街道らしい。
泊まれたらいいな。
早く起きないといけないし、めんどくさいけど、ついに明後日帰国の便に乗るんだな。
今度くるときは英語をもっと勉強してからこよう。
そしたらもっと話ができるし、楽しいだろう。
回想:この時が確かたまたまモーツァルトの250周年とかで、色んなことやってたと思います。
この教会のパイプオルガンは本当に凄かったです。
もし、ヨーロッパに行く機会があるなら絶対に行った方がいいですよ。
日曜日のミサがある時を狙って行くといいです。
9月24日 AM7:45 ザルツブルグ→ローテンブルグ
ついに最終日を迎えた。
昨日結構早く寝てしまったのだが、どこ人かわからないけど、3人組のやつらがうるさかった。
タイ人とちょっと仲良くなったのだが、発音が悪くて何言ってるか全くわからんやった。
書いてもらったら簡単な言葉なんだけど、とにかく発音が悪かった。
まじでうけたことが、よる何時かわかんないけど、いきなり
『This is my bed!』
って聞こえて何事かと思ったら、タイ人が怒られてた。
彼はおいらの横のベッドに寝てたはずなのに、なぜか他のベッドに移ってて、最初寝てたベッドには他の人が寝てた。
多分、どっか行った時にとられたんだと思う。
そして、明らかに使用しているはずのベッドに寝てた。
見ればわかるだろ!
って思うようなベッドにです。
そしてまた発音の悪い英語で言い訳をしていた。
この旅で一番の笑いでした。
体を張った笑いを彼はみせてくれたよ。
3人組も苦笑いでした。
回想:今考えたら、なんて可哀想なことをしたんだろうかと思います。
困ってるタイ人をなぜ助けなかったのだろうか。
なんか、よくわからないドライフルーツのようなものをもらった記憶があります。
このヨーロッパ旅行の話も今度で終わりますので、いい加減飽きてしまった方は申し訳ないです。
書いてる僕も早く終わらせたくて仕方がありません。
明日からまた一週間が始まります。
今週は一体どんなことが起こるだろうか、どんな方との出逢いがあるだろうか、。
そして、また皆様に会える事が楽しみです。
どうでもいいのですが、最近坂本冬美に凄くはまってきてます。
たまに整骨院で流していますが、明らかに整骨院の雰囲気と合わなすぎてますけど、気にしないでくださいね。
今日はザルツを歩き回りました。
とても疲れた。
モーツァルトの生家らしい。
街中音楽が流れてた。
街並も綺麗だった。
城に登ったが、まじで疲れた。
結構な山の上にあって、確かに景色は良かったが、城の頂上への行き方がわからないくて結局妥協した。
軽く心残りではあるが、しょうがない。
言葉がわからないんだもん。
城の中から街を眺めました。
あと、教会に行ったらすごい造りで、前にパイプオルガンが4つ、後ろに大きいのが1つあった。
2つ弾いてたけど、もしあれが全部使われてたらかなり凄いだろうな。
前のパイプオルガンが両サイドにあるのがわかると思います。

明日はまたドイツでローテンブルグだ。
ロマンティック街道らしい。
泊まれたらいいな。
早く起きないといけないし、めんどくさいけど、ついに明後日帰国の便に乗るんだな。
今度くるときは英語をもっと勉強してからこよう。
そしたらもっと話ができるし、楽しいだろう。
回想:この時が確かたまたまモーツァルトの250周年とかで、色んなことやってたと思います。
この教会のパイプオルガンは本当に凄かったです。
もし、ヨーロッパに行く機会があるなら絶対に行った方がいいですよ。
日曜日のミサがある時を狙って行くといいです。
9月24日 AM7:45 ザルツブルグ→ローテンブルグ
ついに最終日を迎えた。
昨日結構早く寝てしまったのだが、どこ人かわからないけど、3人組のやつらがうるさかった。
タイ人とちょっと仲良くなったのだが、発音が悪くて何言ってるか全くわからんやった。
書いてもらったら簡単な言葉なんだけど、とにかく発音が悪かった。
まじでうけたことが、よる何時かわかんないけど、いきなり
『This is my bed!』
って聞こえて何事かと思ったら、タイ人が怒られてた。
彼はおいらの横のベッドに寝てたはずなのに、なぜか他のベッドに移ってて、最初寝てたベッドには他の人が寝てた。
多分、どっか行った時にとられたんだと思う。
そして、明らかに使用しているはずのベッドに寝てた。
見ればわかるだろ!
って思うようなベッドにです。
そしてまた発音の悪い英語で言い訳をしていた。
この旅で一番の笑いでした。
体を張った笑いを彼はみせてくれたよ。
3人組も苦笑いでした。
回想:今考えたら、なんて可哀想なことをしたんだろうかと思います。
困ってるタイ人をなぜ助けなかったのだろうか。
なんか、よくわからないドライフルーツのようなものをもらった記憶があります。
このヨーロッパ旅行の話も今度で終わりますので、いい加減飽きてしまった方は申し訳ないです。
書いてる僕も早く終わらせたくて仕方がありません。
明日からまた一週間が始まります。
今週は一体どんなことが起こるだろうか、どんな方との出逢いがあるだろうか、。
そして、また皆様に会える事が楽しみです。
どうでもいいのですが、最近坂本冬美に凄くはまってきてます。
たまに整骨院で流していますが、明らかに整骨院の雰囲気と合わなすぎてますけど、気にしないでくださいね。
2012年11月10日
四股トレーニング
冬もだんだん近づきクリスマスムードがただよってきています。
最近食べてばかりで(いつも食べてばかりですが)まんまるになってきています(笑)
このままじゃドラム缶になってしまうと思い毎日トレーニングをすることを考えました。
まず腕立て、腹筋などしようとしましたが三日坊主が目に見えているので他の方法を考えました。
悩んだ末、以前ブログで紹介した『四股トレーニング』に決めました。
高校の時毎日していたので手軽でいいなと思いました。
まず手始めに100回しようと始めたのですが・・・
50回にきたところで足が「ぷるぷる」してきたので50回で断念しました(笑)
次の日からは50回に変更して一週間過ぎました(三日坊主にならなかった(笑)
四股は足腰の強化、バランス感覚、柔軟性が高まるので簡単で良いトレーニングです。
高校の頃、地面に手がつかなかったカラダが四股のおかげで股割りもできるようになりました。
一日20回してみてはどうですか?
劇的に変身すると思います(笑)
それでは四股やりかたを紹介します。
まず、おろせるところまで腰をおとします。

片足に体重をのせます。

軸足を伸ばしながら反対の足をゆっくりあげていきます。

足をあげるところまであげます。

この動作を繰り返すだけなので簡単です。
ポイントはゆっくりすることです。
これであなたも最強の足腰を手に入れよう(笑)!!!
三日坊主 ハラグチ
最近食べてばかりで(いつも食べてばかりですが)まんまるになってきています(笑)
このままじゃドラム缶になってしまうと思い毎日トレーニングをすることを考えました。
まず腕立て、腹筋などしようとしましたが三日坊主が目に見えているので他の方法を考えました。
悩んだ末、以前ブログで紹介した『四股トレーニング』に決めました。
高校の時毎日していたので手軽でいいなと思いました。
まず手始めに100回しようと始めたのですが・・・
50回にきたところで足が「ぷるぷる」してきたので50回で断念しました(笑)
次の日からは50回に変更して一週間過ぎました(三日坊主にならなかった(笑)
四股は足腰の強化、バランス感覚、柔軟性が高まるので簡単で良いトレーニングです。
高校の頃、地面に手がつかなかったカラダが四股のおかげで股割りもできるようになりました。
一日20回してみてはどうですか?
劇的に変身すると思います(笑)
それでは四股やりかたを紹介します。
まず、おろせるところまで腰をおとします。
片足に体重をのせます。
軸足を伸ばしながら反対の足をゆっくりあげていきます。
足をあげるところまであげます。
この動作を繰り返すだけなので簡単です。
ポイントはゆっくりすることです。
これであなたも最強の足腰を手に入れよう(笑)!!!
三日坊主 ハラグチ
2012年11月03日
食いしん坊バンザイ!
ケンタ君はダイエットをしたいそうです。
話は全く関係ないですが、僕が思うにですが、彼は僕に何だか似ているような気がします。
性格とかじゃなくて、顔と声がです。
顔は似てないと思うかもしれませんが、僕は似ていると思います。
話がそれました。
彼の願望とは裏腹に、食べる機会が多いらしく、やせることができないでいるそうです。
そして、その食べる機会がまたきました。
名古屋の神様からまたデザートを送って頂きました。
ケンタ君は基本的に午前中の診療で帰ります。
そのデザートは午後に届きました。
次の日の朝にケンタ君にデザートが届いたと話したら、もう目がキョロキョロなりだしました。
毎朝、念入りに整骨院の中から外まで掃除をするのですが、ケンタ君は掃除どころではなくなりました。
掃除機をかけているケンタ君は床の小さなゴミが目に入らず、所々にゴミの取り残しがありました。
掃除が終わり、朝のミーティングが終わり、最初の患者さんが少し遅めだったため、ケンタ君から提案がありました。
『デザートは早めに食べないと悪くなりますので、今の内に食べませんか?』
とにかくデザートのことしか頭にないケンタ君に何を言ってもおさまりそうにないので、それを承諾しました。
地獄の試練を与えました。

こんなことしてしまい、彼は本気で怒り出しました。
とにかく、早く俺に喰わせろ、と目が言っていました。
食べようかと言った2秒後の光景。

ケーキを口の中で溶かす瞬間。

一度食べ出したら止まらないケンタ君。

食べ出して、5秒後のケーキ。

それからのケンタ君を抑える事は僕にはできませんでした。
『そろそろ患者さんがくるんじゃないかな?』
そう言っても、駄目でした。
その目は次のケーキにいってました。
ハロウィン仕様の器に入ったケーキにしか目がいかないケンタ君。

20秒後のケンタ君を撮った瞬間。

僕も食べたくなりましたが、手を出そうとした日にはこんな目で見てきます。

食べ続けるケンタ君を何とか抑え、仕事をするよう促すとやはりあの名言が出ました。
『〆にケーキでも食べるか。』
そう言って彼は最後のケーキを3秒で食べ終わり、仕方なさそうに仕事を始めました。
名古屋からのケーキの話はここで終わりませんでした。
家に余ったケーキを持って帰ると、妻から激怒されました。
『ケンタ君が食べ過ぎて私のケーキがないじゃないの!!』
激怒している妻をなんとかなだめ、ケーキを食べてもらいました。
最後に妻から、
『ケンタ君に渡す前にまず私に持ってきて!』
と言われ、今後2人の取り合いになりそうな様相になってきました。
その内喧嘩にならないか戦々恐々としている次第でございます。
Kさん、いつもありがとうございます!
ケンタ君がいつでも心から待っているそうです!
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話は全く関係ないですが、僕が思うにですが、彼は僕に何だか似ているような気がします。
性格とかじゃなくて、顔と声がです。
顔は似てないと思うかもしれませんが、僕は似ていると思います。
話がそれました。
彼の願望とは裏腹に、食べる機会が多いらしく、やせることができないでいるそうです。
そして、その食べる機会がまたきました。
名古屋の神様からまたデザートを送って頂きました。
ケンタ君は基本的に午前中の診療で帰ります。
そのデザートは午後に届きました。
次の日の朝にケンタ君にデザートが届いたと話したら、もう目がキョロキョロなりだしました。
毎朝、念入りに整骨院の中から外まで掃除をするのですが、ケンタ君は掃除どころではなくなりました。
掃除機をかけているケンタ君は床の小さなゴミが目に入らず、所々にゴミの取り残しがありました。
掃除が終わり、朝のミーティングが終わり、最初の患者さんが少し遅めだったため、ケンタ君から提案がありました。
『デザートは早めに食べないと悪くなりますので、今の内に食べませんか?』
とにかくデザートのことしか頭にないケンタ君に何を言ってもおさまりそうにないので、それを承諾しました。
地獄の試練を与えました。

こんなことしてしまい、彼は本気で怒り出しました。
とにかく、早く俺に喰わせろ、と目が言っていました。
食べようかと言った2秒後の光景。
ケーキを口の中で溶かす瞬間。
一度食べ出したら止まらないケンタ君。
食べ出して、5秒後のケーキ。
それからのケンタ君を抑える事は僕にはできませんでした。
『そろそろ患者さんがくるんじゃないかな?』
そう言っても、駄目でした。
その目は次のケーキにいってました。
ハロウィン仕様の器に入ったケーキにしか目がいかないケンタ君。
20秒後のケンタ君を撮った瞬間。
僕も食べたくなりましたが、手を出そうとした日にはこんな目で見てきます。
食べ続けるケンタ君を何とか抑え、仕事をするよう促すとやはりあの名言が出ました。
『〆にケーキでも食べるか。』
そう言って彼は最後のケーキを3秒で食べ終わり、仕方なさそうに仕事を始めました。
名古屋からのケーキの話はここで終わりませんでした。
家に余ったケーキを持って帰ると、妻から激怒されました。
『ケンタ君が食べ過ぎて私のケーキがないじゃないの!!』
激怒している妻をなんとかなだめ、ケーキを食べてもらいました。
最後に妻から、
『ケンタ君に渡す前にまず私に持ってきて!』
と言われ、今後2人の取り合いになりそうな様相になってきました。
その内喧嘩にならないか戦々恐々としている次第でございます。
Kさん、いつもありがとうございます!
ケンタ君がいつでも心から待っているそうです!
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