2013年01月27日
菜の花マラソン 〜スタートからゴールまで(後半)〜
ランナーズハイになった僕は、1キロ6分のタイムで走り出しました。
普段は7分で走るようにしていた僕でしたが、身体が言う事を聞きませんでした。
その間に豚汁やら、綿アメやら、カツオの腹皮やら、そら豆スープやら、パッションフルーツジュースやら様々なものを頂きました。
ゴール後までを含めて僕が一番美味しいと思ったものは、
『カツオの腹皮!』
でした。
走っていて、サンマ焼きの匂いがしてきて、
『さすがにサンマなんて食べねぇよ!』
と思いましたが、その匂いの元がカツオの腹皮でした。
詳しくは憶えてませんが、20キロから30キロの間のどこかの交差点を曲がる時の角にありました。
ついつい、
『あ!うめぇ!』
と言ってしまいました。
また、そんな中走っている中で面白い会話がありました。
小太りな女性が男性と2人で走っていました。
その女性が
『オニギリ食べ過ぎて身体が重たいわ〜。』
と言っていたので、ついつい心の中で周りの人たちと一緒に
『そこ?!?!体重でしょ!!!』
と突っ込んでしまいました。
さて、最初の目的であるギャルに10人話しかける目標はどうなったのでしょうか。
今のところ、ランナーズハイになり、自分に夢中になってしまった僕は爆走中であります。
さすがに坂道ではほとんどの人が歩いていました。
そんな中僕は走り続けていました。
『おい!みんな!!俺に付いて来い!!!俺が風よけになるぜ!!!!』
心の中で叫びながら自分に酩酊しながら走っていました。
大体25キロ位から海風もでてきて、雨と風のコラボレーションが激しさを増してきました。
前に進もうと思っても風で押し戻されたり、前を向こうと思っても強烈な雨で下を向いたりで、みんな無言で走っていました。
そんな中僕は1人で小声でかけ声を出しながら走っていました。
本当に僕は元気でした。
まだまだ沿道の声援に挨拶を返していました。
そんな中、ついに僕の時代に終わりを告げられる時がきました。
死神が32キロあたりの坂道を登りきってから僕に話しかけてきました。
『おい、お前は調子に乗り過ぎたようだな。その代償は太ももに払ってもらおうか!』
そんな言葉は気のせいと思い、
『よーし、この坂道を走りきったらラストスパートだぞ!』
と意気込んでいた僕でしたが、急に足が動かなくなりました。
太ももを触ると固くなり、パンパンに張ってました。
『お〜い、テープを貼ってくれた兄ちゃん!話が違うじゃねーか!』
と冗談まじりでまだ余裕な僕は己の中で話を展開していました。
走れなくなり1キロがたち、先ほどの死神からの宣告を実感し始めました。
歩いてばかりもいられないと思った僕は走り始めました。
その速度は極端に遅くなっていました。
先ほどまでの勢いはどこにいったのだろうかと思う程、失速しておりました。
杖を付いて歩くおばぁちゃんばりになってました。
なるべく、人の後ろを走って風をよけて走るようになりました。
ついには、レディの後ろを走るようになりました。
それは、お尻を見て走るとかそんなものではなく、とにかく風をよけて、とにかく楽に走りたかったのです。
それからというもの、僕は紳士の欠片もなくなりだしました。
ついに僕のボロが出始めました。
追い越して行く人を心の中で、
『俺が本気出したらお前なんてイチコロなんだぞ!』
止まってストレッチをしている人を見ると、
『お前俺より絶対きつくないだろ!?そんなことしてギャルに話しかけられようとしてんだろ!?』
苦しそうに走っている人を見ると、
『演技はギャルの前だけですればいいんだよ!俺の前でするな!』
どんどん被害妄想に走り出してきた僕は、他人にあたりだしました。
35キロを過ぎて一時すると、菜の花マラソン最期の急な坂道が現れました。
『俺は逆境に強いんだぜ、死神さまよ!』
と死神に話しかけ、坂道を走り抜けようとしますが、30メートルくらい走ると歩き出しました。
この辺になると僕は末期症状が出始めました。
『なんでこんなコースにしてんだよ!』
『もう二度と走るかよ!』
『これが俺の本気と思ってんじゃねーぞ!』
身体がボロボロになりながら、それ以上に心はもっとボロボロになっていきました。
その坂道を登りきったのが38キロくらいになり、残りの距離が5キロを切ると沿道の声援もどんどん増えてきました。
それとは反対に僕の余裕はどんどん減っていきました。
声援に対してお礼を言えなくなり、イケメン米軍パイロットのスマイルなんてできる訳もなく、とにかく下を向いて走りながら心の中で
『声援なんていらねぇんだよ!』
『あと少し!だぁ?!?!貴様が走ってみろよ!!!』
『世の中で今一番苦しいのは間違いなく、俺なんだよ!』
と被害妄想だけが成長していきました。
心から応援して頂いてる沿道の方々、申し訳ございませんでした。
最期走っているとき僕はこんな気持ちでした。
ZARDの「負けないで」を唄っている方々もいらっしゃいました。
そんな唄を聞きながら、僕は
『どうせ俺は負け組だよ!』
と被害妄想を拡大しておりました。
その頃には足を前に運ぶ事が出来なくなり、足のストレッチをしたりしました。
ストレッチをする時は、わざとギャルに話し掛けられるように大袈裟に顔をゆがめながらゆっくりと屈伸をしました。
しかし、話し掛けられる事は全くありませんでした。
最期の紳士の欠片をギャルの為にとっておいた僕でしたが、40キロ地点間違えて使ってしまいました。
足を引きずって歩いている「男性」に
『まじきついっすね、最後まで頑張りましょうね。』
と話し掛けてしまいました。
なぜそこで最後の紳士の欠片を使い切ってしまったのか今でもよくわかりません。
残りの2キロはここでは書けない程の悪態をそこら中の人や物に心の中で当たり散らしていました。
歩いては走ってを繰り返し、何とか体育館が見えてきました。
ゴールするには、ほんの少しだけ回り道をしなければなりませんでしたので、当然僕は
『この分42,195キロじゃなくて、42、300キロになっただろ!』
とどうでもいい悪態をつきながら走りました。
グランドが見え、ゴールがついに目の前になったときにそれはやってきました。
『ヒカルさ〜ん!』
自分の呼び声にだけは過敏に反応する僕は、条件反射的にその声がする方をみると、そこには妻と子どもがいました。
笑顔で手を振っていました。
僕はそのとき、心から
『一々俺に話し掛けるな!』
と思ってしまいました。
僕には内緒で応援にきてくれた家族に対しても、駄目人間全開でした。
そして、テープが無い事にも腹をたてながらついにゴールをしました。
その後、笑顔で
『お疲れ様でした〜!』
『ご苦労様でした〜!』
と次々に会場スタッフが声をかけてきました。
タオルをもらったりしながら、心の中で
『どうせ俺は負け組なんだよ!』
と、完全に被害妄想だけの人間になっていた僕は、一応完走証をもらいましたが内容を見る事もなく足を引きずりながら荷物を置いている体育館へと歩き始めました。
一応証拠の品です。

今回の写真はこれだけです。
写真を撮る余裕はみじんもありませんでした。
20キロから30キロは自分に酔っていたため写真どころではありませんでしたし、30キロ過ぎからゴールまではどうしよもない状態でした。
申し訳ない限りです。
この菜の花マラソンのブログも次で終わります。
あまりにも長くなり過ぎました。
文章をまとめる能力がない僕にはこれが限界でした。
フルマラソンの後日談を次のブログで書きますので、気が向いた時にでも見てください。
長々とありがとうございました。
普段は7分で走るようにしていた僕でしたが、身体が言う事を聞きませんでした。
その間に豚汁やら、綿アメやら、カツオの腹皮やら、そら豆スープやら、パッションフルーツジュースやら様々なものを頂きました。
ゴール後までを含めて僕が一番美味しいと思ったものは、
『カツオの腹皮!』
でした。
走っていて、サンマ焼きの匂いがしてきて、
『さすがにサンマなんて食べねぇよ!』
と思いましたが、その匂いの元がカツオの腹皮でした。
詳しくは憶えてませんが、20キロから30キロの間のどこかの交差点を曲がる時の角にありました。
ついつい、
『あ!うめぇ!』
と言ってしまいました。
また、そんな中走っている中で面白い会話がありました。
小太りな女性が男性と2人で走っていました。
その女性が
『オニギリ食べ過ぎて身体が重たいわ〜。』
と言っていたので、ついつい心の中で周りの人たちと一緒に
『そこ?!?!体重でしょ!!!』
と突っ込んでしまいました。
さて、最初の目的であるギャルに10人話しかける目標はどうなったのでしょうか。
今のところ、ランナーズハイになり、自分に夢中になってしまった僕は爆走中であります。
さすがに坂道ではほとんどの人が歩いていました。
そんな中僕は走り続けていました。
『おい!みんな!!俺に付いて来い!!!俺が風よけになるぜ!!!!』
心の中で叫びながら自分に酩酊しながら走っていました。
大体25キロ位から海風もでてきて、雨と風のコラボレーションが激しさを増してきました。
前に進もうと思っても風で押し戻されたり、前を向こうと思っても強烈な雨で下を向いたりで、みんな無言で走っていました。
そんな中僕は1人で小声でかけ声を出しながら走っていました。
本当に僕は元気でした。
まだまだ沿道の声援に挨拶を返していました。
そんな中、ついに僕の時代に終わりを告げられる時がきました。
死神が32キロあたりの坂道を登りきってから僕に話しかけてきました。
『おい、お前は調子に乗り過ぎたようだな。その代償は太ももに払ってもらおうか!』
そんな言葉は気のせいと思い、
『よーし、この坂道を走りきったらラストスパートだぞ!』
と意気込んでいた僕でしたが、急に足が動かなくなりました。
太ももを触ると固くなり、パンパンに張ってました。
『お〜い、テープを貼ってくれた兄ちゃん!話が違うじゃねーか!』
と冗談まじりでまだ余裕な僕は己の中で話を展開していました。
走れなくなり1キロがたち、先ほどの死神からの宣告を実感し始めました。
歩いてばかりもいられないと思った僕は走り始めました。
その速度は極端に遅くなっていました。
先ほどまでの勢いはどこにいったのだろうかと思う程、失速しておりました。
杖を付いて歩くおばぁちゃんばりになってました。
なるべく、人の後ろを走って風をよけて走るようになりました。
ついには、レディの後ろを走るようになりました。
それは、お尻を見て走るとかそんなものではなく、とにかく風をよけて、とにかく楽に走りたかったのです。
それからというもの、僕は紳士の欠片もなくなりだしました。
ついに僕のボロが出始めました。
追い越して行く人を心の中で、
『俺が本気出したらお前なんてイチコロなんだぞ!』
止まってストレッチをしている人を見ると、
『お前俺より絶対きつくないだろ!?そんなことしてギャルに話しかけられようとしてんだろ!?』
苦しそうに走っている人を見ると、
『演技はギャルの前だけですればいいんだよ!俺の前でするな!』
どんどん被害妄想に走り出してきた僕は、他人にあたりだしました。
35キロを過ぎて一時すると、菜の花マラソン最期の急な坂道が現れました。
『俺は逆境に強いんだぜ、死神さまよ!』
と死神に話しかけ、坂道を走り抜けようとしますが、30メートルくらい走ると歩き出しました。
この辺になると僕は末期症状が出始めました。
『なんでこんなコースにしてんだよ!』
『もう二度と走るかよ!』
『これが俺の本気と思ってんじゃねーぞ!』
身体がボロボロになりながら、それ以上に心はもっとボロボロになっていきました。
その坂道を登りきったのが38キロくらいになり、残りの距離が5キロを切ると沿道の声援もどんどん増えてきました。
それとは反対に僕の余裕はどんどん減っていきました。
声援に対してお礼を言えなくなり、イケメン米軍パイロットのスマイルなんてできる訳もなく、とにかく下を向いて走りながら心の中で
『声援なんていらねぇんだよ!』
『あと少し!だぁ?!?!貴様が走ってみろよ!!!』
『世の中で今一番苦しいのは間違いなく、俺なんだよ!』
と被害妄想だけが成長していきました。
心から応援して頂いてる沿道の方々、申し訳ございませんでした。
最期走っているとき僕はこんな気持ちでした。
ZARDの「負けないで」を唄っている方々もいらっしゃいました。
そんな唄を聞きながら、僕は
『どうせ俺は負け組だよ!』
と被害妄想を拡大しておりました。
その頃には足を前に運ぶ事が出来なくなり、足のストレッチをしたりしました。
ストレッチをする時は、わざとギャルに話し掛けられるように大袈裟に顔をゆがめながらゆっくりと屈伸をしました。
しかし、話し掛けられる事は全くありませんでした。
最期の紳士の欠片をギャルの為にとっておいた僕でしたが、40キロ地点間違えて使ってしまいました。
足を引きずって歩いている「男性」に
『まじきついっすね、最後まで頑張りましょうね。』
と話し掛けてしまいました。
なぜそこで最後の紳士の欠片を使い切ってしまったのか今でもよくわかりません。
残りの2キロはここでは書けない程の悪態をそこら中の人や物に心の中で当たり散らしていました。
歩いては走ってを繰り返し、何とか体育館が見えてきました。
ゴールするには、ほんの少しだけ回り道をしなければなりませんでしたので、当然僕は
『この分42,195キロじゃなくて、42、300キロになっただろ!』
とどうでもいい悪態をつきながら走りました。
グランドが見え、ゴールがついに目の前になったときにそれはやってきました。
『ヒカルさ〜ん!』
自分の呼び声にだけは過敏に反応する僕は、条件反射的にその声がする方をみると、そこには妻と子どもがいました。
笑顔で手を振っていました。
僕はそのとき、心から
『一々俺に話し掛けるな!』
と思ってしまいました。
僕には内緒で応援にきてくれた家族に対しても、駄目人間全開でした。
そして、テープが無い事にも腹をたてながらついにゴールをしました。
その後、笑顔で
『お疲れ様でした〜!』
『ご苦労様でした〜!』
と次々に会場スタッフが声をかけてきました。
タオルをもらったりしながら、心の中で
『どうせ俺は負け組なんだよ!』
と、完全に被害妄想だけの人間になっていた僕は、一応完走証をもらいましたが内容を見る事もなく足を引きずりながら荷物を置いている体育館へと歩き始めました。
一応証拠の品です。
今回の写真はこれだけです。
写真を撮る余裕はみじんもありませんでした。
20キロから30キロは自分に酔っていたため写真どころではありませんでしたし、30キロ過ぎからゴールまではどうしよもない状態でした。
申し訳ない限りです。
この菜の花マラソンのブログも次で終わります。
あまりにも長くなり過ぎました。
文章をまとめる能力がない僕にはこれが限界でした。
フルマラソンの後日談を次のブログで書きますので、気が向いた時にでも見てください。
長々とありがとうございました。
2013年01月27日
菜の花マラソン 〜スタートからゴールまで(前半)〜
激しい花火とともに菜の花マラソンがスタートしました。
何と言っても花火の量が半端じゃないです。
どこであがってるのか確認できませんでしたが、とにかく5分くらいは鳴り響いていたのではないでしょうか。
ストレッチもできなかったし、心の準備もできていない状態からのスタートでした。
空はどす黒くなり、雨がさんさんと降っていました。
これも全てわけのわからないテープに並んでしまった自分が招いたことなのでどうしようもない気持ちでいっぱいになりました。
そんなスタート時の様子です。

この写真でわかるようにスタートの合図がなっても、全く前に進みませんでした。
5分くらい待っても進まなかったので、歩道を走る事にしました。
1キロくらい走ると太鼓の音が聞こえてきたので、写真を撮る事にしました。
こんな写真を撮る余裕があるのも今だけというのに、その時の僕ときたら・・・

1キロを7分前後で走ろうと思っていたのに、最初の1キロは16分かかりました。
それくらい混み混みでした。
いくら走っても前には人がいっぱい走ってました。
これが大体5キロ地点での様子です。

この時点で僕は真ん中くらいだと思います。
1キロあたり7分30秒もかかっていたので、かなりゆっくりのペースだったと思います。
前に進みたくても人がいて無理な状況でした。
道路が狭すぎだと思います。
所々に菜の花が咲いており、綺麗だし匂いがそこら中にして気持ちが良かったです。
『まーゆっくりでも今日は楽しもう!』
と思って走っていたので、かなり余裕でした。
坂が最初からありましたが、城山で鍛えた僕には全く余裕でした。
沿道からからは地元の方や、走者の応援の方がいっぱいいらっしゃいました。
『頑張れ〜〜!!』
旗を振ったり、タンバリン叩いたり、ドラム缶を叩いていたり、一斗缶を叩いていたり、バンドの生演奏だったり色々な方法で応援していました。
それを見る度、イケメン米軍パイロットの笑顔をしていました。
有名マラソンランナーが招待されて、ゆっくり市民ランナーと一緒に走っている映像をたまに観ると思いますが、僕の気持ち的にはそんな感じでした。
そして、僕の目はひたすらギャルを捉える事だけに使われていました。
整骨院の小さいホワイトボードに書きましたが、今回の菜の花マラソンの目標は
『ギャル10人に話しかける!』
でしたので、その目標を達成させることに集中していました。
10キロくらいの時点ではまだ僕もみんなも元気なためそんな雰囲気ではありませんでした。
僕の狙いでは、20キロからみんな疲れて歩き出したり、負傷して困っている所に紳士を装って
『Can I help you?』
と行く予定でした。
大体10キロを越えた頃に池田湖が見えてきました。
普通に雨も降っていましたが、まだスマホを出して写真を撮ることは出来ました。
恐竜が湖の底に住んでいると言われている世界に誇る池田湖と雨雲とランナー達。

15キロを過ぎて菜の花と池田湖と開聞岳がコラボしている写真を撮るにはベストスポットがありました。
僕が写真を撮ると僕につられて写真をみんなが撮りだしました。
『よし!ここでギャルが僕の隣で写真を撮るはずだ!』
とワクワクして待機していましたが、来たのは30代のお兄さんでした。
心の狭い僕は不愉快になりながらも、紳士の嗜みとして
『綺麗ですね。』
と声をかけて颯爽と走り去りました。
もし晴れていたらきっとギャルと一緒に肩を組んで撮ったであろう写真です。

20キロに到達した時点で意図的にちょっと歩きました。
まだまだ元気なのですが、後半に力を残しておこうと思ってました。
さすがにその頃にはランナーは走りやすい間隔になってました。
1キロくらい歩いてまた走り出しました。
最初からずっと道端からの応援が続いていました。
車のトランクにスピーカーを付けて大音量で長渕剛の曲を流しながら応援をいただいたり、
『頑張らんか〜!おら〜!まだまだやっど〜〜〜〜!!!』
と叫んでいるおば様もいたり、声援をあびる度紳士的にお礼をしながら走っていました。
そして、これもまたボランティアの方々が用意していた食べ物もあったりしました。
バナナや飴、氷砂糖、サツマイモ、黒砂糖、水、ポカリ的な補給水等色々ありました。
これらを全て頂きながら走っていた僕ですが、1つだけ食べれないものがありました。
それは、黒砂糖です。
雨に濡れてグチョグチョの状態で、これは一体何なのだろうかと確認をしなければならない程の代物になってました。
補給所で色々頂く度に、紳士的にイケメン米軍パイロットの笑顔を振りまきながらお礼を言いました。
20キロを越して歩いて走り出したのですが、僕は何だか元気に満ちあふれてきて、
『これってもしかして余裕じゃねぇ?』
と思い始めました。
いわゆる、ランナーズハイに突入しました。
申し訳ありませんが、後半はまたこの次のブログに書きます!
引き延ばし過ぎとは思いますが、後半からが面白くなりますのでどうかお許しください!
何と言っても花火の量が半端じゃないです。
どこであがってるのか確認できませんでしたが、とにかく5分くらいは鳴り響いていたのではないでしょうか。
ストレッチもできなかったし、心の準備もできていない状態からのスタートでした。
空はどす黒くなり、雨がさんさんと降っていました。
これも全てわけのわからないテープに並んでしまった自分が招いたことなのでどうしようもない気持ちでいっぱいになりました。
そんなスタート時の様子です。
この写真でわかるようにスタートの合図がなっても、全く前に進みませんでした。
5分くらい待っても進まなかったので、歩道を走る事にしました。
1キロくらい走ると太鼓の音が聞こえてきたので、写真を撮る事にしました。
こんな写真を撮る余裕があるのも今だけというのに、その時の僕ときたら・・・
1キロを7分前後で走ろうと思っていたのに、最初の1キロは16分かかりました。
それくらい混み混みでした。
いくら走っても前には人がいっぱい走ってました。
これが大体5キロ地点での様子です。
この時点で僕は真ん中くらいだと思います。
1キロあたり7分30秒もかかっていたので、かなりゆっくりのペースだったと思います。
前に進みたくても人がいて無理な状況でした。
道路が狭すぎだと思います。
所々に菜の花が咲いており、綺麗だし匂いがそこら中にして気持ちが良かったです。
『まーゆっくりでも今日は楽しもう!』
と思って走っていたので、かなり余裕でした。
坂が最初からありましたが、城山で鍛えた僕には全く余裕でした。
沿道からからは地元の方や、走者の応援の方がいっぱいいらっしゃいました。
『頑張れ〜〜!!』
旗を振ったり、タンバリン叩いたり、ドラム缶を叩いていたり、一斗缶を叩いていたり、バンドの生演奏だったり色々な方法で応援していました。
それを見る度、イケメン米軍パイロットの笑顔をしていました。
有名マラソンランナーが招待されて、ゆっくり市民ランナーと一緒に走っている映像をたまに観ると思いますが、僕の気持ち的にはそんな感じでした。
そして、僕の目はひたすらギャルを捉える事だけに使われていました。
整骨院の小さいホワイトボードに書きましたが、今回の菜の花マラソンの目標は
『ギャル10人に話しかける!』
でしたので、その目標を達成させることに集中していました。
10キロくらいの時点ではまだ僕もみんなも元気なためそんな雰囲気ではありませんでした。
僕の狙いでは、20キロからみんな疲れて歩き出したり、負傷して困っている所に紳士を装って
『Can I help you?』
と行く予定でした。
大体10キロを越えた頃に池田湖が見えてきました。
普通に雨も降っていましたが、まだスマホを出して写真を撮ることは出来ました。
恐竜が湖の底に住んでいると言われている世界に誇る池田湖と雨雲とランナー達。
15キロを過ぎて菜の花と池田湖と開聞岳がコラボしている写真を撮るにはベストスポットがありました。
僕が写真を撮ると僕につられて写真をみんなが撮りだしました。
『よし!ここでギャルが僕の隣で写真を撮るはずだ!』
とワクワクして待機していましたが、来たのは30代のお兄さんでした。
心の狭い僕は不愉快になりながらも、紳士の嗜みとして
『綺麗ですね。』
と声をかけて颯爽と走り去りました。
もし晴れていたらきっとギャルと一緒に肩を組んで撮ったであろう写真です。

20キロに到達した時点で意図的にちょっと歩きました。
まだまだ元気なのですが、後半に力を残しておこうと思ってました。
さすがにその頃にはランナーは走りやすい間隔になってました。
1キロくらい歩いてまた走り出しました。
最初からずっと道端からの応援が続いていました。
車のトランクにスピーカーを付けて大音量で長渕剛の曲を流しながら応援をいただいたり、
『頑張らんか〜!おら〜!まだまだやっど〜〜〜〜!!!』
と叫んでいるおば様もいたり、声援をあびる度紳士的にお礼をしながら走っていました。
そして、これもまたボランティアの方々が用意していた食べ物もあったりしました。
バナナや飴、氷砂糖、サツマイモ、黒砂糖、水、ポカリ的な補給水等色々ありました。
これらを全て頂きながら走っていた僕ですが、1つだけ食べれないものがありました。
それは、黒砂糖です。
雨に濡れてグチョグチョの状態で、これは一体何なのだろうかと確認をしなければならない程の代物になってました。
補給所で色々頂く度に、紳士的にイケメン米軍パイロットの笑顔を振りまきながらお礼を言いました。
20キロを越して歩いて走り出したのですが、僕は何だか元気に満ちあふれてきて、
『これってもしかして余裕じゃねぇ?』
と思い始めました。
いわゆる、ランナーズハイに突入しました。
申し訳ありませんが、後半はまたこの次のブログに書きます!
引き延ばし過ぎとは思いますが、後半からが面白くなりますのでどうかお許しください!