2013年01月28日
菜の花マラソン 〜アフターケア〜
フルマラソンを走り終え、目の前にオバマ大統領が居ても反応できないくらい疲れきった僕はとにかく着替えたくて仕方がありませんでした。
荷物を置いたのが体育館の2階だったので、階段を一段一段噛み締めて昇りました。
走り終えた人々がいっぱい居ましたが、僕は心から
『この中で一番疲れているのは俺だぜ?!』
と思っていました。
他人の笑顔を見る度に不愉快になり、他人の辛そうな顔を見る度に勝ち誇り、完全に死神に呪われていました。
そんなこんなで何とか自分の荷物が置いてあった場所までたどり着き、ゆっくりと座り、一息ついてからゆっくりと着替え始めました。
ここで不愉快極まりないことがありました。
着替えていると、近くで着替えていた40代くらいの男性が僕に
『お疲れ様でした〜。』
と話し掛けてきました。
そこまでは特に問題なく、返礼しましたが、それからがとにかくうざかったのです。
『その時計はガーミンですか?!?!』
『僕はもう20回くらい走ってるんですよ〜。』
『どこから来たんですか〜???』
時計の話をされた時点で
『あ、この人はもしかしてうざい人かな???』
と思い、いち早く着替えてその場を去りたくなりました。
しかし、身体は言う事を全く聞かず、スローでしか動きませんでした。
その間も取り留めもない会話を僕にしてきました。
段々イライラしてきて、意味もなくリュックの中をゴソゴソしました。
すると、どこかに行ったのでこれで解放されたと思った僕はまた一息つきました。
しかし、また帰ってきたのでリュックをゴソゴソしました。
ほんの一瞬の隙をつかれて、話し掛けられてしまいました。
『よかったら名前と住所を教えてください。』
とのことでした。
そこで拒否する事が出来ず、名前と住所をノートに書く事になりました。
なんだか怖くなった僕は、名字を「坂下」名前を「トム」と書き、全く違う住所を書きました。
すると、その人が
『これが僕の詳細です。』
と紙に名前や住所や電話番号を書いているものを渡されました。
もしかしたら、凄く優しい純粋な方だったのかもしれません。
しかし、僕は怖かったのです。
その人もどこかに行き、やっとで解放されました。
そして、思い出したように妻に電話をすると、よくわからないことを言っていました。
僕も初めての参加で、妻たちがどこにいるか全くわからないし、疲れ切っているいた為、電話口で半ギレでした。
実は走り終わってから密かに楽しみにしていたことがありました。
温泉につかり、どこか適当な居酒屋に入って生ビールを飲みたかったのですが、家族の登場により不可能になりました。
不可能になるどころか、子どもを抱っこしたり、ベビーカーを持ったりと、サプライズな仕事が待っておりました。
そんな僕をみて妻は
『勝手に帰るからいいよ。』
と言う事でしたが、そんなこと出来るわけもなく、僕は頑張りました。
なんとか電車に乗り、座る事ができました。
しかし、まだ死神は僕に試練を残していました。
通路を挟んで反対側に同い年くらいの青年が3人座っていて、その1人がやけに元気のある方で子どもに絡んできました。
全く話なんてしたくありませんでしたが、仕方なく適当に話を合わせてその場をしのぎました。
さすがに1時間しか寝ていなかったので眠くなってきたのですが、目の前に座っている妻が口を開けて寝ていました。
それを見て僕は愕然とし、口に何か入れてやろうかと思いましたが、そんな元気もなく寝ることにしました。
しかし、人間はあまりに疲れていると眠れないものなのです。
ほとんど寝れず、幸せそうに口を開けて寝ている妻を見ながら菜の花マラソンを振り返っていました。
なんだかんだで鹿児島中央駅に着き、そこから整骨院までタクシーで帰る事にしました。
死神は僕からまだ離れていませんでした。
乗ったタクシーの運転手が最悪でした。
全く動きそうにない駅のターミナルからメーターをスタートしだすし、急発進・急ブレーキを繰り返されました。
乗って30秒後に降りようかと思いましたが、疲れ切っていたためやめました。
イライラしながら整骨院に着き、名前とナンバーを確認しているフリをして降り、自分の車に乗りやっとのことで自宅に帰り着きました。
その日は妻にマッサージをしてもらうことにして、布団に横になって13秒後には寝ていました。
妻は一時間以上マッサージをしてくれていたようです。
そして、次の日は予想通り身体がどうしようもないことになっていました。
荷物の整理をしていると、完走証が出てきて、その時初めて見ました。
すると、真ん中より上の成績ということにビックリして、気分が良くなりました。
それまでは、
『もうフルマラソンなんて一生走るかよ!』
と思ってましたが、来年はもっと頑張ろうという気持ちに切り替わりました。
その日に温泉に行ってゆっくりしたかったのですが、結局整骨院に行き、仕事をして、家に帰る事になり自宅の風呂に入る事になりました。
そこでのケアが最高に良かったのです。
熱めの風呂に入り、身体が結構温まってきたら、冷水を浴び一気に身体を冷やします。
完全に冷えきる前にまた熱めの風呂に入り、また冷水を浴びる、これを2回程しました。
これは、血管の収縮を促し、疲労物質の排出を促します。
そんなことをしながら、適度なマッサージを繰り返し行いました。
その時は自分の能力に感謝しました。
そして風呂からあがり、ひたすら肉と白飯を食べました。
そこで重要なのは、レモンを食べまくることです。
適当すぎて申し訳ありませんが、どこかのサイトで書いてました。
すると、次の日が仕事でしたが、なんとか走って通勤が出来ました。
仕事も終わり、その日も同じ事をしました。
フルマラソンをした3日後には筋肉痛は治ってました。
やっぱり身体のケアって大事なんだと改めて実感した瞬間でした。
自分なりのアフターケアを理論的に考えて行った結果、成果がでました!
もしこのブログを見て、身体を動かし過ぎて困った時は僕に相談してください!
間違いなく、かなり良くなりますよ!
さて、宣伝もしたところでこの菜の花マラソンの長編ブログも終わろうと思います。
死神に呪われてからというもの、紳士であることを忘れ、トムとなった僕でしたが、また来年も走ろうと心に誓いました。
とにかく、沿道の声援をして頂いた方々には感謝の気持ちしかありません。
賛否両論ある大会ではありますし、改善するべきことも多々ありますが、僕はレベルアップして挑戦しようと思います。
来年は死神に呪われる事無く、4時間台を目指してまた城山越えを頑張ろうと思います!
本当に長々と失礼しました!
読んで頂きありがとうございました!
荷物を置いたのが体育館の2階だったので、階段を一段一段噛み締めて昇りました。
走り終えた人々がいっぱい居ましたが、僕は心から
『この中で一番疲れているのは俺だぜ?!』
と思っていました。
他人の笑顔を見る度に不愉快になり、他人の辛そうな顔を見る度に勝ち誇り、完全に死神に呪われていました。
そんなこんなで何とか自分の荷物が置いてあった場所までたどり着き、ゆっくりと座り、一息ついてからゆっくりと着替え始めました。
ここで不愉快極まりないことがありました。
着替えていると、近くで着替えていた40代くらいの男性が僕に
『お疲れ様でした〜。』
と話し掛けてきました。
そこまでは特に問題なく、返礼しましたが、それからがとにかくうざかったのです。
『その時計はガーミンですか?!?!』
『僕はもう20回くらい走ってるんですよ〜。』
『どこから来たんですか〜???』
時計の話をされた時点で
『あ、この人はもしかしてうざい人かな???』
と思い、いち早く着替えてその場を去りたくなりました。
しかし、身体は言う事を全く聞かず、スローでしか動きませんでした。
その間も取り留めもない会話を僕にしてきました。
段々イライラしてきて、意味もなくリュックの中をゴソゴソしました。
すると、どこかに行ったのでこれで解放されたと思った僕はまた一息つきました。
しかし、また帰ってきたのでリュックをゴソゴソしました。
ほんの一瞬の隙をつかれて、話し掛けられてしまいました。
『よかったら名前と住所を教えてください。』
とのことでした。
そこで拒否する事が出来ず、名前と住所をノートに書く事になりました。
なんだか怖くなった僕は、名字を「坂下」名前を「トム」と書き、全く違う住所を書きました。
すると、その人が
『これが僕の詳細です。』
と紙に名前や住所や電話番号を書いているものを渡されました。
もしかしたら、凄く優しい純粋な方だったのかもしれません。
しかし、僕は怖かったのです。
その人もどこかに行き、やっとで解放されました。
そして、思い出したように妻に電話をすると、よくわからないことを言っていました。
僕も初めての参加で、妻たちがどこにいるか全くわからないし、疲れ切っているいた為、電話口で半ギレでした。
実は走り終わってから密かに楽しみにしていたことがありました。
温泉につかり、どこか適当な居酒屋に入って生ビールを飲みたかったのですが、家族の登場により不可能になりました。
不可能になるどころか、子どもを抱っこしたり、ベビーカーを持ったりと、サプライズな仕事が待っておりました。
そんな僕をみて妻は
『勝手に帰るからいいよ。』
と言う事でしたが、そんなこと出来るわけもなく、僕は頑張りました。
なんとか電車に乗り、座る事ができました。
しかし、まだ死神は僕に試練を残していました。
通路を挟んで反対側に同い年くらいの青年が3人座っていて、その1人がやけに元気のある方で子どもに絡んできました。
全く話なんてしたくありませんでしたが、仕方なく適当に話を合わせてその場をしのぎました。
さすがに1時間しか寝ていなかったので眠くなってきたのですが、目の前に座っている妻が口を開けて寝ていました。
それを見て僕は愕然とし、口に何か入れてやろうかと思いましたが、そんな元気もなく寝ることにしました。
しかし、人間はあまりに疲れていると眠れないものなのです。
ほとんど寝れず、幸せそうに口を開けて寝ている妻を見ながら菜の花マラソンを振り返っていました。
なんだかんだで鹿児島中央駅に着き、そこから整骨院までタクシーで帰る事にしました。
死神は僕からまだ離れていませんでした。
乗ったタクシーの運転手が最悪でした。
全く動きそうにない駅のターミナルからメーターをスタートしだすし、急発進・急ブレーキを繰り返されました。
乗って30秒後に降りようかと思いましたが、疲れ切っていたためやめました。
イライラしながら整骨院に着き、名前とナンバーを確認しているフリをして降り、自分の車に乗りやっとのことで自宅に帰り着きました。
その日は妻にマッサージをしてもらうことにして、布団に横になって13秒後には寝ていました。
妻は一時間以上マッサージをしてくれていたようです。
そして、次の日は予想通り身体がどうしようもないことになっていました。
荷物の整理をしていると、完走証が出てきて、その時初めて見ました。
すると、真ん中より上の成績ということにビックリして、気分が良くなりました。
それまでは、
『もうフルマラソンなんて一生走るかよ!』
と思ってましたが、来年はもっと頑張ろうという気持ちに切り替わりました。
その日に温泉に行ってゆっくりしたかったのですが、結局整骨院に行き、仕事をして、家に帰る事になり自宅の風呂に入る事になりました。
そこでのケアが最高に良かったのです。
熱めの風呂に入り、身体が結構温まってきたら、冷水を浴び一気に身体を冷やします。
完全に冷えきる前にまた熱めの風呂に入り、また冷水を浴びる、これを2回程しました。
これは、血管の収縮を促し、疲労物質の排出を促します。
そんなことをしながら、適度なマッサージを繰り返し行いました。
その時は自分の能力に感謝しました。
そして風呂からあがり、ひたすら肉と白飯を食べました。
そこで重要なのは、レモンを食べまくることです。
適当すぎて申し訳ありませんが、どこかのサイトで書いてました。
すると、次の日が仕事でしたが、なんとか走って通勤が出来ました。
仕事も終わり、その日も同じ事をしました。
フルマラソンをした3日後には筋肉痛は治ってました。
やっぱり身体のケアって大事なんだと改めて実感した瞬間でした。
自分なりのアフターケアを理論的に考えて行った結果、成果がでました!
もしこのブログを見て、身体を動かし過ぎて困った時は僕に相談してください!
間違いなく、かなり良くなりますよ!
さて、宣伝もしたところでこの菜の花マラソンの長編ブログも終わろうと思います。
死神に呪われてからというもの、紳士であることを忘れ、トムとなった僕でしたが、また来年も走ろうと心に誓いました。
とにかく、沿道の声援をして頂いた方々には感謝の気持ちしかありません。
賛否両論ある大会ではありますし、改善するべきことも多々ありますが、僕はレベルアップして挑戦しようと思います。
来年は死神に呪われる事無く、4時間台を目指してまた城山越えを頑張ろうと思います!
本当に長々と失礼しました!
読んで頂きありがとうございました!
Posted by ぼくの手 at 22:49
│マラソン系
この記事へのコメント
だからレモンなんですね。
一足遅かった。
一足遅かった。
Posted by ひだかっち at 2013年01月29日 18:39
もう少し早ければ、レモン万歳になっていたところでした。
しかし、美味しくいただきました☆
しかし、美味しくいただきました☆
Posted by ぼくの手 at 2013年01月30日 11:15